こどもの俳優がこども時代を演じるドラマ『わたしを離さないで』に少し違和感があるのは、たぶんカズオ・イシグロの原作が〈回想〉という形で〈大人のわたし〉が〈大人のわたしの諦めの地点〉(=すべてを失った今の地点)から語っている〈こどもの枠組み〉と〈大人の枠組み〉の違いによるのではないか

映画『日々の名残り』がうまくいったように感じられたのは、アンソニー・ホプキンスが今の地点から回想しつつもかつての自分もおなじホプキンスとして少しズレつつも演じたからではないだろうか。おなじ身体で、しかし違う地点で。つまりホプキンスも演じた記憶をこれから引き受ける。

原作『日々の名残り』は信頼できない語り手(隠して語ったりする)として有名だが、映画『日々の名残り』はレクター博士の身体記憶をもったアンソニー・ホプキンスが演じることで、この主人公信頼できないよなという印象を観客に与えることができるのもよい。俳優の身体記憶も物語に加味されるのだ。

俳優の身体記憶でいえば、シン・ゴジラと日本を賭けて戦った長谷川博己が、文学と人生と自分と愛を賭けてNHKで漱石を演じたのは〈たたかうひと〉としてとてもよかった。今までのドラマの漱石はすますか暴れるかだったように感じたが、勝ち負けでない場所でたたかっているような漱石の感じがでていた