最近特に復刻が多くて例えば90年代の名作RPGがアプリになったり、ミニファミコンが発売されたり、食品にしてもラ王や三ツ矢サイダーなどが復刻商品を出している。ビックリマンの復刻も出たりとか。なんでかなと考えたのだが、ひとつは〈世界〉がある程度頭打ちになったという事があるのではないか

ダークソウル3や輸入もののオープンワールド型ゲームを見ていても、もうこれ以上リアルというものは《突き詰めようがない》。リアルが頭打ちになったときにできることは、リアリティがなかった(それでも凄く楽しかった)《かつての負けリアル》を今復刻し、逆リアリティを楽しむことなのではないか。

例えばラ王だったと思うが、一番売れなかった味の商品をあえて復刻したりしていたが、これはある意味で、《負けリアル》を今、リアルとして楽しむということではないか。その当時いくらリアリティがなくても、時間がたつとリアルに近づいてくることがある。リアルは文脈が支えているからじゃないか

復刻というのは、帰るべき場所や故郷という問題にもなってくると思うのだが、故郷がリアリティをもつのは、その故郷から《どれだけ離れたか》による。故郷に近いうちは故郷はリアリティがないのだが、故郷から離れれば離れるほど故郷はリアリティをもつ。そう言えばゴジラも最近《復刻》されたのだ

シン・ゴジラは、震災が意識されていて、どこかで震災≒ゴジラ対現実のような構図になっていたが、復刻商品はそうしたリアルやリアリティが変質せざるをえなかったようなところがどこか関わっているんじゃないかと思ったりもする。復刻はあくまで復刻なのであり、帰ろうとしてももう帰れない