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『ドラゴンクエスト7』って暗いっていわれることがって暗さってなんなんだろうってときどき思うんですが、明るいとか暗いって枠組みがけっこう大きいんじゃないかと思うんです。
で、枠組みってなにかっていうとたとえばその作品がどんなふうに始まったか、どんな冒頭をもってきたかに関係しているんじゃないかと思っていて、で、『真田丸』ってけっきょく負けていく物語なので、だんだん暗くなっていくんですよね、話や雰囲気が。
ただ『真田丸』の冒頭ってすごく無邪気な感じだったので、幸村のそばにずっといたひとたちはその明るい無邪気な幸村も知っているからどこかで無邪気さや明るさのようなものってずっとあるんです、どんなに暗くても。
だから『真田丸』はそういう明るい冒頭の枠組みのなかで物語がすすんでいく。家康にむかっていく最後の騎馬シーンも、冒頭の馬に乗って無邪気に逃げる真田と重ねられていた。
で、いっぽうで、『ドラゴンクエスト7』はとても暗く始まるんですよ。まず、しんとしてるんです。魔物がいない世界から始まるので、けっこうプレイしていてもいつまでも敵がでてこない。で、けっこうプレイしたあとに異世界にとばされてはじめてスライムにであうんだけれども、そうやってであうときに、そもそもスライムってなんだっけって、この7にいたってはじめてドラゴンクエストのスライムについて考えはじめてしまう。魔物とはなんなのかと。そういうなんか静止とか停滞とか思索をもたらすような暗さがある。
またはじめて異世界で訪れた村も、荒廃しまくっていて、で、自分たちで自分たちの村を破壊するっていう、自傷的な村なんですね。
そういう冒頭の暗さが全体の基調としてドラゴンクエスト7を支配していくんじゃないかと思うんです。
だから明るいとか暗いって実は作品の冒頭がその基調を決めていくんじゃないかとおもうんです。