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このまどのさんの短編集にふたつのたつまきというかぐるぐるしたサイクロンが印象的なかたちで出てくるんです。
ひとつは「暮らしと竜巻」というとつぜんたつまきが暮らしのレベルのなかに出てくる話。
もうひとつは「プロペラ」という最終的に神秘的で超越的な巨大なプロペラにであう話。
で、どちらもぐるぐるした回転エネルギーなんですが、共通しているのは、〈よくわからない回転エネルギー〉だっていうことです。ひとの知や力を超えたところで回転している。
ただ、神秘的で超越的な回転エネルギーではあるんだけれど、「暮らしと竜巻」や「プロペラ」というタイトルにもある通り、決してそれは神性の宿るようなものではない。「暮らし」のなかでむしろ棚の上にある花瓶のようなレベルとして、小手先でつくってしまえるような「プロペラ」レベルのものとしてそういう超越性がある。つまり、チープな超越性です。
この短編集に出てくるひとたちは〈さえないひと〉たちが多いんですが、実はこの漫画のおもしろさは、そういう〈さえないひとたち〉が〈さえない超越性〉に遭遇してしまうというところにあるんじゃないかと思うんです。
ふつう、神秘的で超越的なものというと、なんだか神様みたいな神々しいものとして表現されるんだけれど、まどのマンガではそれは「暮らし」のなかにあるむしろ〈安っぽさ〉として表現される。でも、その〈安っぽさ〉の超越的力によって時空が入り乱れるんです。
「暮らし」のなかに〈神様〉を見出してしまったひとたちの物語。
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まどの一哉さんのイラストサイン