蛭子マンガの特徴のひとつに、主人公がみんな〈自己実況的〉であるということがあるとおもうんです。脳内実況というか、考えていることや実行しようとしていることをわざわざモノローグですべて語っていく。

で、それってなんなのかと考えてみると、じぶんがじぶんから乖離してるってことなのではないかと思うんです。蛭子マンガではよくよくひとが死ぬし、また主人公もたびたび死ぬんだけれども、でもその死もどこかで〈本人〉とは乖離している。死さえもじぶんじしんのものにならない世界なんですね。

で、そういう世界で、モノローグを語りつづけることによってずっとじぶんが乖離しているのを感じている。でもその一方でその発話によってかろうじてじぶんが完全に乖離しているのをつなぎとめている。

そういうじぶんとじぶんのぎりぎりのラインをずっと描いているのではないかとおもうんです。



蛭子さんのイラストサイン