どんなに忘れても《時間が経ってから》やってくる言葉というものはあるような気がする。その言葉は、だから、未来のじぶんがもっているのだけれど、でもその言葉をおくってくれるのは過去のじぶんでもある。自分の中の《時をかける》手紙のやりとりが続いていくことが生きていくことのような気もする