水木しげるマンガのなかでロングショットというか遠景がときどき出てくると思うんですが、そうしたロングショットのなかで人間が豆粒大の大きさに描かれることで人間の卑小さや無力さがでているとおもうんです。

で、もっといえば、水木しげるマンガのなかでは、個人と世界は拮抗したり対立したりするのではなくて、個人は世界に対してまったく無力であるというのが前提としてあるようにおもうんですよ。個人と世界はまったく切断されているというか、連関がない。

それは水木しげるの妖怪画もそうで、キャラクター化された妖怪のうしろに緻密な背景が描かれている。そのとき、個と世界の連絡は断たれ、個と世界は対立も連携もしていない。

だから鬼太郎や悪魔くんが〈孤独〉にみえるときって、そういう背景から孤立した存在としての〈マンガ的孤独〉なんじゃないかとおもうんです。キャラクターは写実的な背景の世界にはかえっていけないし、それと拮抗しあうこともできないという。