よく「人を呪わば穴ふたつ」という言い方がなされるが(呪いはじぶんにかえってくる)、なぜひとを呪うと自分用の穴をもたなければならないのかときどきかんがえている。
たとえばひとに「しね」といったときに、その「しね」はとりあえず自分のなかにカテゴリー化される。
世界の見え方「しね」が自分のなかにカテゴリーとしてできあがってしまう。
だからなにかあったときにそのカテゴリーで自分を解釈してしまう。カテゴリーにつかまってしまうのだ。
だから呪いはじぶんにかえってくる。
ひとへの呪いが強ければ強いほどカテゴリーも強くなるはずなので、あとで呪われたカテゴリーが自分をつかまえにやってくる。
「しね」といえば「しね」は自分にそのまま〈自分への/自分の世界への解釈〉としてかえってくる。
たとえばひとに「しね」といったときに、その「しね」はとりあえず自分のなかにカテゴリー化される。
世界の見え方「しね」が自分のなかにカテゴリーとしてできあがってしまう。
だからなにかあったときにそのカテゴリーで自分を解釈してしまう。カテゴリーにつかまってしまうのだ。
だから呪いはじぶんにかえってくる。
ひとへの呪いが強ければ強いほどカテゴリーも強くなるはずなので、あとで呪われたカテゴリーが自分をつかまえにやってくる。
「しね」といえば「しね」は自分にそのまま〈自分への/自分の世界への解釈〉としてかえってくる。