七英雄ワグナス「それは失礼した。だが、もう楽しませる時間がない。君の短い人生もこれでタイムアップなのだ。さらばだ、皇帝」。

ゲームの言葉の位相の不思議さは、言葉のレベルがまぜこぜになっている所にある。
そうしたゲームの言説が文学などの言語表現にどう干渉したのかは気になるところだ。

七英雄っていうボスキャラは山手線の駅名のもじりからきているのだが(ワグナス→品川、クジンシー→新宿、スービエ→恵比寿、ダンターグ→五反田、ボクオーン→大久保、ノエル→上野、ロックブーケ→池袋)、それが興味深いのは、七英雄の主体の根拠が永遠に循環している路線にあるってことだ。
始点も終点もない。
その意味で、七英雄っていうのは目的がなく、根拠もなく、時間の狭間に漂い続けている。

ゲームは、神話と現代文化をなんの抵抗もなく連節してしまうところがある。
英雄譚=騎士道物語と配管工を結びつけるとか(『マリオ』)。
そのときに、それまで物語享受としては位階、仕分けがあったはずの物語の分節の変動が起こるのではないか。
〈高尚〉と〈低俗〉がなんの違和感もなく結ばれるときに。