〈寝込む〉といったことは負のイメージが見いだされやすいが、私は実は〈寝込む〉ことには積極的価値があるのではないかと思っている。
〈寝込む〉行為には、〈読書行為〉と似ているところがある。
その場に滞留し続けることと、どのような環境であり〈内的世界〉を読解し続けようとしていること。

積極的に〈寝込もう〉ということではないけれど、〈寝込ん〉でしまったときがあったとしてもびくびくしないでむしろ〈スキル〉なんだと思ってさえもいいのではないかと思ったりもする。
〈寝込む〉プロは、たぶんいい〈読書家〉になれると思うから。

本を読むということはたとえ新幹線に乗っていてさえ、みずからを〈滞留〉させることである。
マッハな静止、といってもいい。
ベルクソンがただここにいるだけの「純粋持続」が〈生成変化〉そのものとたしかいっていたけれど、読書も寝込むもただそこにいるだけで〈生成変化〉している〈マッハな滞留〉に似ているように思う。

寝込むときに、本を読むときに、ただ寝込み、本を読むのではなく、マッハに寝込むのだ。
はらばいになって本を読んでいるあなたはすごい速度だ。
たとえば、ひゅううううん、といったような。