〈そのひと〉のことをよく思い出すことがあるが、〈思い出す〉という行為は、〈思い出す〉ことによって自分の現在地を確かめつつもその現在地をずらすしかない彼岸をそれとなく導入してしまう〈わたしの確認と否認〉が混在しているふしぎな行為であるようにもおもわれる。
〈そのひと〉はいないが、いる

だからその意味において実は写真や日記は〈思い出〉ではあっても〈(あのひとを)思い出す〉にはならない。
〈思い出〉はたぶん現在の自分の確認にしかならないから。
逆説的だが〈思い出〉は〈思い出す〉ではない。
しかし〈あの人〉という形しかとれないときにひとは思い出す。
大事なのは〈人〉ではなく、《あの》である。