学生時代は、部屋が本で埋まっていてそのあいだを申し訳なさそうに縫うようにして、生活していた。だからひとを呼べる部屋では、なかった。
ひとを呼んだことも、なかった。じぶんさえも歓迎されていない部屋に、だれかを呼ぶわけには、いかなかった。
それでも行ってみたいという人間が、季節の変わり目になると、あらわれる。
こないほうがいいよ、というのだが、なにかがわかるような気がするから、などといって、たいていは、いうことをきかない。じぶんでもよくわからないんだよ、というと、じゃあじぶんならわかるかもしれない、という。
あなたがわかっても、とわたしは、いう。そうして、わたしは、だまってしまう。

部屋にきた友人は、なんだか乗船したみたいだ、という。
そうなんだ、この部屋はどこかへいこうとしている、とわたしはいう。
でも、どこにいこうとしてるかわからないんだよ、とも、わたしは、いう。
友人は所在なさげに腰をおろそうとしている。おろし、かける。
そして、そのままである。腰をおろす場所なんて、ないのだ。所在など、ないのだ。
どうやってキッチンに行けばいいのかな。
まずここにくるんだ。そうしたらこの通路を横這いでぬける。
すると、ほら、ここにまたみちがあるから、ここをくぐりぬけるような気持ちであるいていく。そうすると、そこに、キッチンが、ある。
食器棚にも本があるの。
うん、どこにでもあるんだ。靴箱にも、ある。
じゃあ、あなたはどこにもいけないんじゃないか。
だから、ここに、いるんだ。きっと、なにかがまちがっちゃったんだよ。

友人は、だまっている。
なにどうしたの、とわたしは積み上げられた本の隙間をのぞくようにして友人に、いう。そんなところにいたんだ、とわたしはおどろく。この部屋まだまだしらないことばかりだな、と。
こんなところに花の種がある、とかれは、いう。
そう、とわたしは、いう。花の種ぐらいあるんじゃないかな、これだけ本があるんだ。花の種も、ある。かんがえてみれば、すごい部屋だ。わたしのしらないことでこのへやはなりたっている。だれのへやなんだ。
最後の訪問者は、ずっとにぎりしめたまま、だまっている。
花の種をにぎりしめたまま黙りこくっている人間をみることなんてそうそうないよな、とわたしはわたしで、おもう。
ふいにてをさしだされたわたしは、友人からそれをうけとろうと、いま、既知の場所から未知の場所へと、身をのりだそうと、している。