『マザー』で最後に仲間になる「もうひとりのおともだち」のフィギュアです。
『マザー』っていうゲームはこの「こわいおにいさん」が仲間になるように、おそらく基本的には「僕」という主語から予想されるような僕的な世界をすこし超えたところにある世界を冒険することがその主題になっています。
ところがそんなふうな「僕」を超えた世界は、「母親(マザー)」のようにときにやさしく、包括的にこの「僕」を助けてくれるものともなります。
つまり、「ファザー」のような倒すか倒されるかの(絶対的な法としての)父性原理ではなくて、いっしょに行動できるできないの(相対的な法)が大事にされる世界です。
この「相対的な法」のなかで位階のない(王様や竜王のいない)おともだちとしてよ「相対的なコミュニティ」をつくりつつ冒険していくRPGが『マザー』というゲームのあたらしさだったのではないかとおもうのです。