表現ってどこかで、いやここにいるから、みたいなとこがあるのではないかとおもう。
わたしは、いやここにいるから、と。
大事なのは「ここにいる」ではなくて、「いや」の部分だ。「いや」という切り返しに重心がおかれるべきだ。
〈いない〉状態からの「いやここにいるから」なのである。
その〈いや〉の瞬発力が表現の強度なんじゃないかとおもう。
つまり、うらをかえせば、その〈いや〉によって逆説的に、わたしたちはだれかと、だれかのことばや表現とつながっている。
たとえわすれられようとも、わすれられかたを示すことによって、忘却としての記憶に身をおくべきだ。
そうすれば、〈いや〉で、また、うかびあがる。
もういないね。いやここにいるから。