ときどき、世界の果てで編み物をしている人間のことを思い浮かべる。
彼や彼女の表情はみえないが、
彼女や彼の周囲では
いろとりどりの花が
枯れたり、咲きむれたりを
くりかえしている。
でも その花と
かれらにはなんのかかわり合いもない。
かれらは編み物に熱中している。
ときどきわたしは世界の果てで
編み物をしているひとを思い浮かべながら
ひととしゃべったり、食事をしたり、あるいたり、
おどろいたり、よろこんだり、かなしんだりしている。
信号でまっているときに、ふいにたまたまとなりのひとが
やさしいひとだったら
そのひとたちのことについてうちあけそうになることも
あるが
でもうちあけることは不発におわる
信号が青になってしまったから。

愛とは信号のことではないかとおもうことがある

つまりいそいでいるときは赤になって
いそいでいないときは青になってしまうような

わたしはずっと信号をしている
そんな濫喩をつかうようなひとから
だいじなことをうちあけあられたときもある
そのときもわたしは
いやそのときはわたしじしんが
世界の編み物をしていた

ほんとうのこと