ゆうじんが、大量のうまい棒を部屋に残していったことがある。
それは、用意周到に・隠して、あった。
何年か経ってみつけた棒もあった。
夜中、CDでブローティガンの朗読を聴きながら、すこしずつ食べたことも、ある。ブローティガンは云う。いまこの録音してるスタジオは、あっちこっちから電線が漏れ出していて、宇宙船みたいなんだ。わたしも云う。どこからうまい棒がでてくるかわからない宇宙にとりのこされたみたいなんだ。

わたしは、ゆうじんに、かつてブローティガンのブローティガン自身による詩の朗読を聞かせたことがあった。
Love poem、という詩だ。
なんていってるの、これ、とわたしは、聴いた。訳してみてくれないかな、と。
……ひとりきりで朝おきるのは……
いいものだ……愛しているひとに対して……
愛してるって…いう必要がないから……
とぎれとぎれにゆうじんがそう訳したので、ふうん、そう、とわたしは、いった。
それでラヴ・ポエムっていうんだ、と続けていった。なんでもないんだなこの世界は、という感じで。
ゆうじんはつまらなそうな顔をしていた。

ともかく、ゆうじんが去ってなおおびただしい量の棒が部屋のあちこちにみえないかたちで散在していた。
ひっきりなしに、棒だった。
これだけ、ふんだんに棒を残していったゆうじんが何をいいたかったか謎だが、うまい棒は、それでもやはり、美味しかった。
今でも、あたらしい花の名前をみつけるように、さがし出しては、食べている。
おいしい棒だ、とわたしは、ひとり、声に出して、いう。これはうまい棒だもの。