ときどき、手紙を投函しながら、なぜ手紙という文字には、手、という漢字が入っているんだろう、と考える。

届いた手紙を手でひらき、書いたひとの筆跡(て)を感じ取りつつ、読みながら、なぜ手という文字が入ってるんだろうと、かんがえる。
文章のための手、なのか、手のための文章、なのか。
それとも、そこにあるのは紙片ではなく、相手の手、なのか、相手の手の痕跡がそこに息づいているのか、わたしには、わからなく、なる。
わたしからあなたに届けられるまでに、無数に介在するわたしの知らない手。
手が、手が、おびただしい手が、わたしの手紙を、あなたのもとまで、届けてくれる。
いったいどれだけの手の行程をかさねて、あなたのもとに、とどくのだろう。
そこにまだ、わたしの手の余地は、あるんだろうか。
わたしは手紙をもらうたびに、それを専用の引き出しに、しまいこんでいる。ひきだしのなかでいきづくおびただしい数の手。手、手、手。手に手がかさねられ、たばねられ、ある手は、ある手に、手をはわせながら。

ときどき、手紙を書きながら、なぜ手紙という文字には、手、という漢字が入っているんだろう、と考える。