むかしから図書館で待ち合わせをして、であえたことが、ない。
どういうことなんだろう、と図書館の階段を降りつつ、ふりかえりつつ、おもう。
でも、きっと、こういうことなのだ。
図書館はなによりも、その場にとどまる場所なのだ。とどめられる場所なのだ。
だから、わたしは、かれ/かのじょにであえない。めぐりあえない。
中に入ったがさいご、まちあわせることはできない。
図書館とは、うろつくことを固定化される場所なのだ。
わたしたちは、うろつきながら・とどめられる。その場を飽くことなく彷徨しつづける。その場でさまようゆうれいになる。
わたしたちは、逆説の亡霊になる。

わたしがまちあわせたひとびとはいったいどこにいってしまったんだろう、とおもうことがある。いまでも図書館のなかで本を読み続けているのだろうか、と。
わたしは、わたしさえも図書館にのこしているような気がするのだ。
図書館にはいるたびに、わたしはわたしをおきざりにする。
わたしは図書館にはいるたびにだれにもめぐりあえず、またわたしじしんをおきざりにすることで、他者をもわたしをも、亡霊化してゆく。
図書館にはいるたびに、わたしは、複数の幽霊になって、でてくる。
幽霊とは、めぐりあえないもののことだ。
とどまるものの謂いである。

どこにいるの、
とわたしはメールする。
ここにいるよ、と返信が、くる。
でも、わたしも、ここにいるんだよ。だから。
ああ、幽霊が群れる、
と、わたしは、おもう。