お茶する機会があって、あいてはミルクレープをたのんでいたのだが、あまりにミルクレープをきれいにたべるので、ちょっとみとれてしまった。
こんなにきれいにミルクレープをたべるなんて、とわたしはその場で、握手をもとめそうになった。
わたしもいつかそんなふうになりたいです、あなたはミルクレープを嗜好する者たちの鑑(かがみ)です、と。
あまりにわたしがみつめていたせいか、欲しいですか、とあいてがいったので、ああすいません失礼をしました、とわたしはいった。
でも、ちょっと、もらった。
そのせいで、ミルクレープは、ぐずぐずになった。
めもあてられないかんじに、なった。
もうひとつ買ってきますから、とわたしはいった。
いやいいんです、だいじょうぶです、胃の中にはいればみんないっしょでしょう、おいしく食べられればそれでいいんですから、とあいてはこともなげに、いった。
たしか、孔子が、「15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず」、といっているが、それは40になったら、ミルクレープもきれいにきりわけられましょう、ということなんですね、と、わたしは、いった。
あいては、ただ、ちがいますね、といった。