NHKBSのコントの劇場がすきでさいきんそれっばかりみているのだけれど、
三宅裕司は、《沈黙》ツッコミをとてもうまく使えるひとのように、おもう。
ツッコミをいれるまえに、一拍、おく。その一拍が、わりと、ながい。ながいが、ながいかなとおもうまえに、ツッコむ。
つまり、沈黙であらかじめつっこんでおいて、《違和感》を表徴しつつ、その表徴にことばで意味付けしていく。
速度のツッコミではなく、遅延するツッコミ。
だからこそのコントなのだともおもう。
たとえば、漫才は速度によってベクトルをつくっていく。そのベクトルのエネルギーによって漫才のあつみがでてくるとおもうのだが、コントは時間の緩急をつけることによっとベクトルよりも《場》をつくっていく。だから、漫才が対話的であるのにたいして、コントは多声的である。ゆらめく時間が、場を形成し、声を、複数化していくのだ。
ちなみにわたしは、生瀬勝久と三宅裕司がふたりでやってた仕事バラエティーのコント番組がすきで、録画したものをなんどもみていたのだが(まだ高校生だった)、そこでも圧倒的に支配していたのは、三宅裕司の沈黙ツッコミだった。ただ、その沈黙ツッコミに、生瀬勝久が、沈黙ボケで応答するのでそれがとてもスリリングでおもしろかった。
さらにちなみになのだが、むかし、中崎タツヤのマンガがアニメ化されたことがあって、その吹き替えをしたのが、三宅裕司と小倉久寛だった。凄くおもしろくて、やはり録画したものをなんどもみていた(小学生だった)。
だからなんだかんだで、三宅裕司、すきである。
むかし、ゆうじんが三宅裕司とすれちがって、わたしは一時間後くらいのそのすれちがった場所にいってみたのだけれど、もちろん三宅裕司はいなくて、いつも通ってるありふれたなんでもないその場所で、ああここに三宅裕司がさっきまでいたんだなあ、としみじみたたずんでいたことも、ある。そして意外にでもなんでもなく、三宅裕司がじぶんはむかしからすきなんだなあ、とおもった。