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近藤聡乃『はこにわ虫』。
近藤聡乃さんのマンガって、どこかカフカにも近いんですが、それはたぶん、日常のなんでもない瞬間が、せつなせつなで地獄化していくからだと思うんですよ。
でも地獄には浮遊感のある快楽もあって、それをマンガでしか描けないことをよくしっているひとだとも、おもいます。
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『蛭子能収コレクション パチンコ屋はインテリを嫌う』。
蛭子さんのマンガの地獄的なところはたぶん、ドラマやオチを《死》や《無為》によってひたすら否定しながら、《どこか》へいこうと模索しつづけるその物語性にあると思うんですよ。
それってあらためてかんがえるとものすごいことだし、だから蛭子さんのマンガって、ノンジャンルに近いとおもうんですよね。ジャンルをも否定しようとしているというか。
ジャンルがないので、だからたぶんどこにも掲載されないとおもうんですけど笑、そういうメディアをいともたやすく否定してしまうマンガってあらためて魅力あるなあとおもいます。しかも、くるわないかたちで。