すきなんてなかなかつたわらないね、と友人がいう。
すきなんていまだにつたえるほうほうがわからないよ、とわたしもいう。
ああこの年齢でこんなこと話してる場合じゃないよなあ。でもなあ。
たとえばね。
うん。
すきのバロメーターが
草原のまんなかにおいてあって
ふあんになったら
そのひとが
そこにみにいけたらいいよね。
どれどれちゃんと満タンになってるかなって。
そうしたら
きっとそのひとも安心できるとおもうんだよね。
ふあんになったらいつでもその草原にいって確認すればいいとおもうんだ。
でもさ、そんなことしたら草原にいりびたりになって帰ってこられなくなるんじゃない?
そのときはそのときでそこで生きていくしかないね。バロメーターをつかさどるものとして。
あいてが確認もしにこなくなったらかなしくない?
あいてがこなくてもあいてのバロメーターを確認すればいいよね。満タンかもしれないよね。
でもなあ、とわたしはおもう。
わたしには空っぽのバロメーターを抱きかかえて、草原のまんなかにつっぷすじぶんじしんのすがたがみえる。ああ絶対そうなんだよ。
たおれふすわたしの頭上では、ときどき、星が瞬き、風が吹く。
世界はぜんぜんわたしに関係してないじゃん、とかおもう。
でも、こうやってつっぷしているのもわるくないな、とか、
垣間見える夜空にもみしだかれながらも、ちょっとだけ、おもう。