追悼というわけではなくて、
そういうことがあまりすきではないので、これはそういったものではないのだけれど、
飯野賢治さんが亡くなったのを知ったときは、泣ける場所じゃなかったのに、ちょっとぽろぽろ泣いて、こまった。
ちかくにいたひとに、どうしたんですか、とかいわれたけれど、飯野賢治さんの説明をするのがめんどうだったので(知ってるひとはとてもよく知ってるし知らないひとはまったく知らないようなそういうひとだったので)、おなかがあたまみたいにいたいんです、といって、すみのほうにいって、ぽろぽろ泣いていた。

わたしが高校をやすんで、ずうっと部屋のなかに逼塞していたときに、さいごまでじぶんを助けてくれた本の一冊に飯野賢治さんの『ゲーム』がある。
NHKのトップランナーでかれをみたときに、なんていう砕けたユーモアの持ち主なんだろうこのひと、とおもったけれど、それ以前になんというか、みえないゼリーのなかで暗い遊泳をつづけていたわたしに、かれは、ゲームやインタビューや著書や風聞やうわさを通じて、ときどき、ひかりをくれた。それはたいてい、まわりのにんげんやおとながもっていなかったひかりだったので、わたしはすなおにうけとった。
飯野賢治は、あなたがどこにもいけなくなてしまったときはデカルトをいっかい読んでみるといいよ、と自著でしきりにすすめていたが、わたしにとってその当時ひょっとするとデカルトは飯野賢治だったし、『方法序説』の思考のありかたは、もしかしたら『エネミー・ゼロ』のありかたに近かったんじゃないかとおもうことも、ある。
つまり、エネミーがゼロの世界のなかにおいて、エネミーが《仮設的》に消去された世界のなかで、この《わたし》という主体もいったん括弧にくくらざるをえないような状況にじぶんを投げ込んでみること、または投げ込まれること。しかしいつかはそのじぶんをうけとめ、ひきうけ、そしてここから、ふたたび、生きはじめること。
これはもしかすると『Dの食卓』にもいえることだったのではないかとおもう。みずからがみずからであると信じていた主体が完全に漂白されることによって、あらたに《みずからのやりくちで》主体をたてなければならないような状況のなか、この・わたしを模索すること(家族・父・母・恋人・親友・もうひとりのわたし、などの親密で疎遠な他者との《つながり》を決して拒否することも、拒絶することも、断ち切ることもしないかたちで)。
デカルトは、《わたしは考えている。だから、わたしはいまここにいる》といったけれど、飯野賢治のテーゼはこうだったのではないかとおもう。
《あなたが考えている。だから、わたしはいまここにいる》。

わたしは、これまでの人生でたびたびそうしてきたように、いまでも、ときどき、飯野賢治のことを、かんがえる。
たぶん、これからも、ときどき、かんがえる。
あなたがたくさんのことをかんがえてくれたので、たぶんわたしはこれからもこの世界にいようとすることの努力を、つづけることが、できる。