いつかまた会いましょう、
といわれたので、
じゃあ、といったあとに、
猛ダッシュして先回りして、会ったことがある。
いつか、ってずいぶんはやかったんですね、
といわれたので、
いつかって、ジョーカーのことばだから、なんでもありなんですよ、
とわたしは、いった。
それから、ではまたいつか、とさらっといわれたので、あらら、とおもいながら、また全速力ではしって、
いつかは、もう、きました、
といった。
そうやってわたしはなんどもなんども高層ビルを全速力でさきまわりして、いつか、という《一瞬だけ先》の時間をくりかえしつづけた。死ぬかと、おもった。でも、いつか死ぬんだから、いいじゃん、とおもって、わたしは、はしりまくった。
そんなにわたしに会いたいんですか、
といわれた。ええ、まあ、とわたしはいった。
それから、わたしたちは、いつかについて話し合った。五日(いつか)は三日前に過ぎましたね、というイツカ・ジョークもきちんといれた。
いつかはなんどもなんどもやってくるもんなんですね、とそのひとがいった。
そして、さよなら、の対義語は、《いつか》でいいですか、と続けていった。
異議はなかった。
そして、いつかまた、といって、別れた。
いつか、がいろんなかたちでかけめぐって、いろんなかたちをとりながら、ありとあるものをむすびつけひきはなし、過去や未来をないまぜにしながら、いつかはくるくると時間の火花をあげつづけるだろう。
いつか。ねえ、こんなに過激なことばはないよね、と、わたしはいつかのわたしにいった。それを、いつか、わたしがわたしからうけとるはずだった。