ボタンをかけるように死にたい、
といっていたひとがいて、
どういうことなのかな、とひと夏かんがえていたのだが、けっきょくは、わからなかった。

かのじょのまわりでも、わたしのまわりでも、けっしてすくなくはないゆうじんが、亡くなったが、それでも、わたしたちは、しななかった。
だれかがふいに、あなたはきっとそうまもなくしぬだろうね、と、わたしが本を読んでうつむいていたときに、わたしをゆびさしていったひともあるが、その年に亡くなったのはやはりわたしを背負ってわたしの家まで送ってくれたひとで、わたしとかのじょは冬の図書館にいって、かれの死亡記事を、つめたい書架のなかで、じっと、読んだ。

かのじょは、ときどき、ボタンをはずしたりかけたりするしぐさを、した。それはその場の空間や関係性をひどくあいまいにして、わたしはいったいそれはなんなの、とききそうになったことが、ある。あなたはいったいなにをしているの、と。

でも、わたしには、わからなかった。
ひと夏をこえてわからないことは、わからないということなのだと、わたしはおもった。そんなふうにして、ひと夏ぶんのわからなさをかかえて、わたしはその夏から生き残った。

《いつも死ぬのは他人だった》というマルセル・デュシャンのことばを、かのじょはひどく、きらっていた。