西村和泉(サミュエル・ベケット!)onツイッター@ベケット作品において衣服とは身体を意味づけるモチーフであると同時に、複数の身体が共有することで登場人物から存在の唯一性を剥ぎ取るものとして描かれる。
7/21 9:52
高橋修(主題としての〈終り〉)onツイッター@ある読みを身につけるとは、言説間の権力関係において、ある価値づけのシステムを学び取ることであり、それは文壇的な力学のなかで一定の位置を選び取ることである
7/21 11:27
ニーチェ(ツァラトゥストラ)onツイッター@私にとっては、どんな言葉も十分な速さに欠ける。
7/21 11:29
[追われると逃げたくなる?] 追われながらも、その追いかけてくる相手をうしろから追いかけはじめることで、ウロボロス構造をつくる。もしくはこのままいくとふたりでバターになっちゃいますね構造、ともいう。
7/21 11:49
[本気でキレるとどうなる?] さけるチーズをあまりに暴虐非道に引き裂く。
7/21 11:53
[なうに欲しい機能] ねむれない深夜とかに、《君と僕は指先の迷宮》など、あまりにポエミーなつぶやきになってきてイタい感じになってくると、端末に弱電流をはしらせたり、はげしいバイブでおびやかしたりする。
7/21 11:57
ジンメル(愛の断想・日々の断想)onツイッター@二人でいる時の方が孤独である。なぜなら、別々であり、「向き合って」おり、他人であるから。融けて一体になればなるで孤独である。なぜなら、ただ一体であることの淋しさを消してくれるものがもう何処にもないから。
7/21 18:33
ジンメル(愛の断想・日々の断想)onツイッター@愛を知る人というのは、取ることと与えることとが一つであるような人間、取ることによって与え、与えることによって取るような人間なのであろう。
7/21 18:34
0.27秒テレビというサブリミナル番組。
7/21 18:49
27年間テレビという人生等身大番組。
7/21 18:50
ウィトゲンシュタイン(反哲学的断章)onツイッター@フロイトはこう考えている。狂気の場合、錠が壊れているのではなく、変形しているだけである。これまでの鍵ではもう開けられないが、仕様のちがう鍵なら開けられるかもしれない。
7/21 19:29
[ときめくツンデレ発言] そんな生意気なくちは、こうだ!!
7/21 22:17
[作ってほしい○○の日] 読書してるひとをむやみやたらに根暗と呼ばない日(昼休みにどうどうと読書できる日)。
7/21 22:19
ウィトゲンシュタイン(反哲学的断章)onツイッター@実際に私はペンで考えている、手がなにを書いているのか、頭が知らないことが、よくあるのだから。
7/21 22:19
ジンメルの《ふたりという孤独》についてのことばを引用したが、ニーチェが「いや、おどろいた! ふたりがかりの孤独なんだ!」といっていて、その言葉も《ふたりという孤独》をあらわすのに印象ぶかい。
7/21 22:45
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