たまに、ふっと、
ウサギはもしかして
タヌキのことがすきだったのかなあ、
とか、おもうことがあります。
やきもちがあまりにつらくて
泥の船ごと沈めたとか。

恋愛って、もしかしたら、
ふたりがウサギとタヌキを交互にくりかえすことなのかもしれないです。
もしかするとおたがい同時にタヌキになってしまうこともあるかもしれないし、
おたがいウサギになっているのかもしれないし。
ふたりで泥の船にのって沈んでいくこともあるかもしれないし。

かちかち山異聞はこうです。
タヌキはウサギのことがだいすきだったんですが
いつも、どうせ俺なんか、とおもっていました。
こころがひねくれていたんですね。草食系男子でも肉食系男子でもなく、悪食系男子でした。こころの消化不良というか。
で、泥ふねでしずむときも、
やっぱり、ああ俺きらわれてたんだなあっておもって、しずんでいったんです。
どっかでまあしょうがないかなっておもったんですよね。
ウサギはでも、ほんとはタヌキのことがだいすきだったのです。
さいしょはじぶんがなぜそこまでタヌキを攻撃するのかわかりませんでした。
でもタヌキがしずんでいくのをみたそのとき、眼からなみだがあふれて、なんだろうっておもった。そのとき、だいすきだったんだってことがわかった。彼女は思いが素直に伝えられない偏食系女子だったのです(なぜそれが偏食系なのか筆者もよくわかりませんが)。
はじめて愛にきづいたウサギは、雲散霧消していく泥船と愛をみつめながら、ずっと、泣いていました。
でも、まだ、外側に《愛》があったのです。
そのうしろに、なんとタヌキに煮てくわれたおじいさん(霊体)がいたのです。
ウサギに片想いだったおじいさんは、ウサギのことがだいすきで、しんでからも、ずっとウサギのうしろでウサギのことをみていたのです。ちなみに、かれは、粗食系男子でした。
しかし、まだ《うしろ》があったのです。その(霊体の)おじいさんのうしろには、(霊視ができる)おばあさんがいて、そんなにすきでもなかったけれど、いまかんがえてみたらまあすきだったのかもしれないし、なんかきになる、ぐらいのかんじで、曖昧な愛のもとに、おじいさんをみていました。彼女は美食系女子でした。
しかし、なんと、まだ、そのおばあさんのうしろには俺がいて、おばあさんフェチなので、ずっと、みていました。ちなみに俺は節食系男子です。よろしくお願いします。

でも、いま、わたしはおばあさんのうしろすがたをいとしくみつめながらも、こんなふうにもおもうです。
火を点けられたときに、タヌキが
あちいあちいやけくそだだいすきなんだきみのことがあついけどだいすきだいまぼくはしぬかもしれないでもきみのことがだいすきなんだこんなもえあがるひなんかよりももっとだいすきなんだ、ってウサギにいえばよかったんじゃないか、と。おもいのたけを、もえはぜるひのことともに、そのままに、なんのてらいもよそおいもなく。
それをきいたウサギは、はっとして、おもわず水をかけてしまいました。
これで、ヤキモチも、水をかけられて、ただのキモチになってしまったのです。
ふたりは、そのキモチを生涯たいせつにし、いつまでも、すえながく、しあわせにくらしました。おしまい。