いちどだけ、
シルクハットをかぶっている女の子が
信号をわたってくるのを目撃したことがある。
そのとき、わたしは、こんなにもシルクハットに弱かったのか、と、心底、おもった。
なぜなら、シルクハットに眼をとられて、信号をわたれなかったからだ。
あまつさえ、ついていこうとしていた。結婚しましょう、といおうとしていた。魔法だった。でも、シルクハットをかぶっているひとは、きっと魔法がつかえるのだろうから、ふしぎではなかった。
ふしぎだったのは、なぜわたしが、シルクハットかぶっていないんだろう、ということだった。

むかしから、
将来なりたいものに、
吸血鬼、と書いていたのは、
もしかしたら
シルクハットが
かぶりたかったからかも、しれない。
かぶりたくないか、シルクハット。
わたしは、かぶりたい。

シルクハットを、かぶりたい。
たとえば、休日には、
シルクハットをかぶって、街にでたい。
シルクハットさえ、かぶれれば、べつに首からしたは、なんだっていい。ジャージでもユニクロでもいい。ベルボトムでも、シルキーステテコでもいい。
とにかく、シルクハットを、かぶりたいんだ。
でも、わたしは極度のあがり症なので、シルクハットをかぶったら、はずかしさで、一挙手一投足がたちどころに挙動不審になるかもしれない。シルクハットをかぶったジャージ姿のおとこが挙動不審なかんじで、街をうろついている。ああ、店に、はいった。
店内においても挙動不審なわたしは、万引き犯とまちがわれ、シルクハットをかぶったまま、万引きGメンに補導される。
にのうでをはっしととらえられ、おきゃくさんわかりますよね、と、いわれる。
ええ、わかります、といって、わたしはシルクハットをもちあげる。
かなしげに、いちわの鳩が、おおぞらに、とびたっていく。わかったのだ。空だけが。

いわゆる、オトナになってしまったので、吸血鬼には、もう、なれないことはわかっている。
でも、シルクハットをかぶった女の子(エアー吸血鬼)のお婿さんになら、なれるかもしれない。
まだ、ゆめは、すてないでおこうと、おもう。
魔法って、きっと、そういうもんだと、おもう。