生き別れ。

このひと、もしかして、
生き別れたひとなんじゃないかな
って、ふいにおもったりすることが
ときどき、あったりするんですよね。
いや、ほんとにごくたまに。
そんなには、ないけれど。

生き別れっていっても、
いろんなレベルがあって、
たとえば、
何千万年もむかしに細胞がいきわかれたとかもあるとおもうんです。
ア、あのとき、みたいな。
星もないよるの、ふるい湖のそこで、まだ単細胞生物のべん毛だったころに、細胞としてあなたといきわかれましたよね。
ああ、あのときの。
ええ、わたしたちはまだあのときは、べん毛だった。とにかくせいいっぱい、ふりふりしてた。ふりふりしてた一生だった。
ええ。おぼえてます。たしかに、ふりふりふるふるしてた。
ええ、あのころは。
でもまたこうして会えるなんて。

もしかしたら
ブログにコメントをしてくれるひとだって
全員いきわかれたひとかもしれませんよね。
そういう、ことばのいきわかれをかつてしたひとかもしれない。
すごくむかしに古い言葉でさよならっていったけど、
また言葉がであって、っていう。
あのときの古い言葉はもうわすれてしまったけれど、でも、
あのときの《いきわかれ》た感触だけは、まだ、おぼえてる。
だからまた、
ことばとして、
あなたに、であった。
ことばとして、わたしは、やってきた。