せつくす、というものが、
ほんとうにひととのつながりあいなんだろうかと、ときどき、ふいに、おもうことがあります。
ほんとうはつながりあうって
せつくすじゃないのかなあとも。
せつくすはどこかしんぴてきだけれども、
それよりもいちにちじゅうてをつないで
ものをたべるときもてをつないで
ねているときもてをつないで
けんかしてるときもてをつないでいるほうが
つまり、
てをつないでいることのほうがどこかしんぴてきなのではないか、とおもうことがあるのです。
せつくすはどこかで行為がおわることを予期していますが、つまり、《いく》ことをもとめられるわけですが、
てをつなぐという行為には《いく》ことはもとめられません。
むしろ《(どこにも)いかないで》、ということが、てをつなぐことの本懐のようにもおもえるのです。