いなくなってみて、
そのひとが不在というかたちをとって
はじめてきづくこともある。
世界が変わってしまう
めにみえて。
そのとき、
それまでの世界は
なんでもなかったはずなのに
なんでもなくなってしまう。
もしかしたら、
「いない」ってかたちが
いちばんそのひとが「いる」ときなのかもしれませんよね。
はじめてそのひとに「であう」瞬間。
そのひとがまざまざと「いはじめ」ることにたちあう瞬間。
そのひとが「いた」ときっていうのは、
「いる」っていうことも
複数形だったとおもうんです
まばらな「いる」っていうか。
「いる」ことがそこらじゅうに
頒布されていたというか。
ところがそのひとがいなくなったとき
「いる」の焦点がむすばれて
はじめて「いる」ことの同一化がおこなわれる。
もうそれしかないんだという「いる」がたちあらわれる。
そのひとがいないことによって
倒錯的に
もういるしかないんだという事態がたちおこる。
そのひとのいない場所で、
圧倒的なそのひとの「ある」ということの
存在論を、かみしめている。