院試に落ちて、
部屋で蟄居してチェーホフを読んでいたときに、
ゆうじんが、すさまじい数のグループフルーツをもって、
わたしの部屋にきたことがある。
うれしい、というよりも、おそろしかった。
ふくろからひとつひとつとりだしては、それをわたしに投げつけてくるのかとさえ、おもった。
ゆうじんにたいして、わるいことはしていないつもりだった。しかし、よいことも、していなかった。
やはり、投げつけられるのかもしれなかった。
ここには世界中のグレープフルーツがあるね、とわたしは冗談をいった。
ゆうじんは、わらわなかった。
わたしは、もしゆうじんがグレープフルーツを投げつけてきたら、
わたしはチェーホフ全集を投げつけていこうと、おもった。全16巻、あったから。
おびただしい数のグレープフルーツをテーブルにならべながら、
さあ、グレープフルーツをたべましょう、とゆうじんは、いった。
テーブルが黄色の球体でうめつくされ、一気呵成のサイケデリックにわたしは卒倒しそうになった。
わたしたちは、グレープフルーツスプーンをつかい、
つぎからつぎへと汁気ある球体をつぶしていった。
ものもいわず、がつがつ、たべた。いうことなんて、なんにもなかった。
果肉がはじけとんで、あちこちにとんでいった。
チェーホフの書物にもとんだ。本棚にもとんだ。
でも、かまいやしなかった。一心不乱に、たべた。
本なんて一冊も読まなくても生きていけるのかもしれないな、などと、おもいながら、
がつがつ、たべた。とちゅうでわたしはつまらないはなしをしようとした。だが、ゆうじんはたべつづけた。
わたしは、あぶない救われた、とおもった。次の年にわたしは院試をとおって、大学院にいった。
わたしは、ゆうじんにグレープフルーツを贈ろうとした。
ゆうじんは、グレープフルーツってだいっきらいなの、といった。にどとそのはなししないでね、と。
チェーホフ全集をひとに貸したら、返してもらうときに、
なんだかこの本、かすかに、グレープフルーツのにおいがするね、といわれた。
そうかな、とわたしは、いった。
かんちがいかもしれない、とそのひとがいった。
かんちがいだね、とわたしは、いった。