大学の図書館でコピーをとっていたら、すうっと友人がとなりにきた。


書庫のあちこちでは水がわいているみたいだ、という詩があったよね、というので、


そんな詩あるのだろうか、とおもった。わたしのしらないだけなんだろう。


彼女はトレンチコートを着こんでいて、きゅうにとしをとったみたいに、みえた。


コピー機のどくどくしいライトがわたしとかのじょの顔をなめるように照らしていく。


でもそうかもしれないよね、とわたしはいった。


わたしはときどき書庫と書庫のあいだに小川のせせらぎをみることがある。


つかれてものうげにふらふらしているときなどに、あっ、とおもう。


それは、すぐに蒸散してしまう。わたしはひとりで目撃する。だれにもいわない。いってはいけないことだとも、おもう。でも。


ロシア文学の書庫の前にわいている水はしょっぱくて、まだるっこい水だよね、と友人がいうので、


そっか、たとえば気象にかんする書庫の前はさらさらとした砂のように粒子のあらい、


がさがさした水じゃないかな、とわたしもいう。でもひょっとしたらそれはちいさな嵐をたたえた水かもしれないとわたしは内心おもう。


書館ではいろんなことが起こりうるんじゃないのかなとときどきわたしはおもう。


水がわくことだってあるだろう。それをごくごくとのみほすひとだっているだろう。


のどもとからしずくがとめどなくしたたりおちてまたあらたな水のながれをおりなすだろう。


きづけば、かのじょは、もう、いない。


わたしは地下のくらがりで、


無機質に次から次へと紙をはきだしていくコピー機と、ひとり、むかいあっている。


嵐のようなあしおとで、だれかがすうっと、また、となりに、くる。