物語は、共同体の構造そのものである。
それは、内部と外部に分割された空間と、
その境界をこえる(侵犯する)ことにかかわっている。
その外部(異界)が、
天上であろうと、山中や地底であろうと、
上流社会や下層社会であろうと、かまわない。
その外に出ることは「死」であり、
そこから帰ってくることは「再生」である。
しかし、小説の“小説性”は、そこにはない。
小説はけっして共同体の構造から出てこない。
それはいわば「外部」(異界ではない)からくる。
柄谷行人『闘争のエチカ』
物語は、共同体の構造そのものである。
それは、内部と外部に分割された空間と、
その境界をこえる(侵犯する)ことにかかわっている。
その外部(異界)が、
天上であろうと、山中や地底であろうと、
上流社会や下層社会であろうと、かまわない。
その外に出ることは「死」であり、
そこから帰ってくることは「再生」である。
しかし、小説の“小説性”は、そこにはない。
小説はけっして共同体の構造から出てこない。
それはいわば「外部」(異界ではない)からくる。
柄谷行人『闘争のエチカ』