『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が
なぜ弁証法的にならないかというと、
表現方法と表現内容というのが
ほとんど等価で行き来しているんですよね。
どっちかが上になってリードしていくと、
これはやはりある程度弁証法的になるんですよ。
ところがまったく等価に並んで動いているから、
どこまで行っても並列的になるんです。
非常に水平的な話になってますよね。
この話の最初と終わりで、
ホールデンという人間が変化したかというと、
したとも言えないんですよ。
もちろん、してないとも言えないんだけど、
したとも言えない。
さあ、どうなるかな、
先のことはわからない
で終わっているわけですね。
村上春樹『サリンジャー戦記』