学生時代に留学生の女の子から

小説の添削を頼まれたことがある。

きちんとしたなめらかですべすべした文章にしてほしいと。

彼女は中国人だったが、

いまどきの女の子という感じで、

黙っていれば誰も彼女が中国の人間だと気づかないぐらいだった。

日本語も会話に限っては流暢だった。


私は彼女の小説を読み終えて頭をかかえてしまった。

淡い物語なのにひどくぶっきらぼうな文体だった。

そこにはこなれた小説的文体がなかった。

母語ではないのだから当然の話だ。

でも、妙に読んでいて伝わってくるものがあった。

ことばの軋轢や摩擦、ざらつきがわたしに何かを訴えてくる。
水のようにさらさらした文章に添削しなおすことはできた。

でも、彼女の小説の核心はまずまちがいなく

そのぎこちなさ・ぶっきらぼうさにあった。

それをわたしが殺してしまっていいのだろうか。

わたしは悩んだすえにひとつもアカをいれずに彼女に返した。

彼女はがっかりしていたようだった。

わたしはなんていえばいいかわからなかった。

なんていえばよかったんだろう。なんていえばいい?

そのあとにわたしたちは二人で不二家に行った。

なんだか二人ともパフェを食べたいような気持ちだった。

わたしたちは巨大なチョコレートバナナパフェを頼んだ。

口中、チョコやクリームでべちゃべちゃにしながら

二人黙って、無心に食べた。
食べ終わってわたしは彼女の眼をみながら、いった。

パフェを食べながらずっとかんがえていたことを。

「あなたの小説は、なんというか、

ぶっきらぼうな感じがとてもよかった。

みな、こなれた小説を書くけれど、

つたなく・ぶっきらぼうには書けない。

うまくこなしてしまう。

あなたの小説を読んで思いました。

こんなにも世界にはいろんなことが起こっているのに

それをしたり顔でうまい具合に文章にこなしてしまっていいんだろうかと。

だから、アカがひとつも入れられなかった。

それが正直なところです」
彼女はわたしの眼をみて黙って聞いていたが、
「そうですか。

わたしはあなたがわたしにいまいったそのことを

わたしとして同意したいと思います。

――それでいいと思う」
と少し頬笑んで言った。

彼女の口のまわりは、チョコやクリームでべちゃべちゃだった。

そして、きっと、わたしもそうなのだ。

彼女もわたしもべちゃべちゃだ。

そして、それでいいのだ。

何事もこなれてあることがいいわけではない。

わたしたちは店を出て、めいめいの駅に向かうために

軽く挨拶をして、わかれた。