何かを面白いでしょうと主張した時に、

突然それは面白くないものになってゆく。

思うに、或るものに価値を与え、

そうではないものとの間に差をつけてしまうからだ。
価値を与える時、

同時にそのものに意味を付与している。

しかもその意味はひとつだ。
その意味を相対化するものはない。

他のものに意味がないからだ。
他のものに意味があれば、

相対化されるものの価値は変容する。
その操作によって、

われわれは“ねらい”の呪縛から解き放たれるはずだ。
早い話が「たいしたことない」と思えさえすれば。


          岩松了「溜息に似た言葉」