「死」そのものには、

何のドラマもないと

思いました。

それはただ

「時の流れ」のようなものだと

思いました。

生きている私にとって

「死」はどこかへいこうとして
「ちょっと道順を間違えた」くらいの

意味しかもちえない、
ただの事柄だ、

と思いました。


でも、

そのことから派生した

「いなくなっている」という事実、
これは事柄ではない、

或る状態だ、
そしてそれは

まさしくドラマだ、
私はそう思うのでした。


     岩松了「“死”とはビジョンのようなもの」