智恵子抄 (新潮文庫)/高村 光太郎



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わたしは


ときどき、


語るひとの「運命」などではなく、


語られたひとのその「運命」に


おもいをはせることがある。


語られたひとは


どこにいて・なにを思い、


いや、


いったい


なにを剥ぎ取られ、


どういった場所を


失ったことに


なったのか。


そして、


わたしは、


そのようなとき


きまって


「智恵子」のことを


想いうかべる。


語られるその一方で、


なにひとつとして


語ることの許されなかった


智恵子という女。


夫から


一方的に


みられ、


語られ、


意味づけられ、


おおわれながらも、


掩蔽されたことすら、


空や愛によって


隠蔽されてしまう


智恵子。


文字通り、


声を剥奪され、


抄(かす)めとられた女。





「語り」には、


どうしたって


力(power)が


つきまとう。


でも、


青空や星や月によって


すぐにそんなことを


わすれて、しまう。


智恵子の声は


現実界として


しずかに無音に


ひびいている。


それは


いくら語れども


抄めとることのできぬ


生々しい〈声〉である。


智恵子が


みたいといった「ほんとの空」を


わたしたちは、しらない。


しるすべさえ、もたない。