東海道五十七次の謎 | ルーム339

ルーム339

タイガーマスクを応援して
未来を創造する子供達を
育てよう!

ブックマークを見ると
あなたの優しさが
子供達に渡されます。
※見てもお金はかかりません
↓↓↓↓↓



本文はここから

現在、俺のためだけに「兄者の事務所」と題したスレッドを管理人さんが作ってくださいました。

こちらで、雑談をしています。


本題

「東海道五十三次」と「東海道五十七次」


GOTOエンジニアリング

この本を読んで納得しました。


慶長20年以前までは一般的に「東海道」というのは

江戸「日本橋(にほんばし)」から京都の三条までの五十三次だったそうです。

※「日本橋(にほんばし)」ふり仮名は大阪の日本橋(にっぽんばし)」と区別のため


この慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡

幕府は東海道を大坂延伸


大津~京間の追分から伏見経由で大坂に至る街道を「東海道」として管理したそうです。

※大阪を大坂と表示したのは本に書いてあった通りにさせていただきました。


これ以上書くと引用だとか著作だとか・・・

ありそうですのでここまでにしておきます。


さて、当然ですが俺がまともに歩く・・・

そんなことするわけないです。


寄り道しながら・・・全部を歩く・・・

無理(ヾノ・∀・`)ムリムリ


箱根の関所・・・

俺は駅伝の選手じゃないし・・・

選手であってもあの坂を歩いて・・・そんな根性があったら


今、俺はもっと凄いことやらかす

男になっています!


ただ、その根性ありません!!!

あそこはバス使います!


今から先に言っておかないと・・・


有吉さんが電波少年でやらかした!?


疑惑のユーラシア大陸移動になってしまうので・・・


先に宣言しておきます。



東海道を全部歩こうなんて考えていませんからァ~!


残念!!!

(古)