もとひろです。

 

今日はねばっても何も書きたいことが出てこないのでお休みします。申し訳ございません。

こう書き始めたら何か出てくるかと思いきや。継続していたらいつかやめたいときが訪れる。来ちゃった。実は数日前から来ていた。今の生活に満足できない。自分に厳しくすることができない。だらだらと感じたことを書くこのブログもただの甘えです。本当はほんの数分でも他の大事なことに集中させられたらと思っている。しかし大事なことはどんどん後回しにされている。ここに文章を書くことで現実逃避をしている。僕がこのブログをやめられたときは「もとひろよく決断した」と褒めてください。いい習慣は残したい。でも今に満足できないなら、いま良いと思っている習慣は悪い習慣なのかもしれない。思い切った行動を起こさないと慣性の法則は壊せない。大気圏は突破できない。思い切った行動を起こそう。やらないことをはっきり決めよう。俺はろくでもないブログをもう書かない?

 

明日から急にブログをやめると言って、誰かに嫌われたり呆れられたりすることがあるだろうか。あったとしたらどうなのだ。自分の問題だ。人のためにブログを書いているにしては内容がお粗末すぎる。自分のために書いているブログだ。その自分が決めるんだ。ちょっと距離を置いてみようかしら。

 

まだ引力が邪魔してくる。もう少しだ。燃料を注ぎ込め。

 

わたくし本当は毎日ブログを更新してみなさんに何か価値のあるものを提供したいのですが、なにぶん今の生活に不満たらたらなので、そこから与えられるものとしては大変中途半端なものしか生まれないと感じております。そこで今一度自分の生活だけに集中するべきかと思っております。目の前にいる人との関係をまず大事にしてみようかと思います。ブログを読んでくださってる方がどこのどなたかほとんどわかりません。このつながりが途絶えるのは寂しいです。でもその寂しさは甘えだと今ははっきりわかります。みなさんに余計な時間を使わしていることも罪なのかもしれません。何より大事なことを後回しにしていると自認している自分に対しての罪が一番大きいでしょう。

 

いい感じです。

 

俳優の仕事は舞台で生身の体を晒して一瞬の輝きを発することです。僕の使命はそこにあります。ブログでファンを増やすなんてことできません。僕は生身であってこそ魅力本能を発揮できるのです。だから生身をお見せする機会を増やすことを第一に考えて今のこのコロナの時代を生きないといけません。中途半端な活動をお見せして同情されるほど間抜けな行為はないと思います。

 

決めました。

 

もう中途半端なブログは書きません。毎日更新なんて意味のないルールは破ります。本当に僕を応援してくださる方にお見せしたい姿はこんな姿じゃありません。日々思ったこと感じたことは書き残すんじゃなくて自分の中で反芻して明日に活かせばいいんです。みなさんにお見せするものはもっと研ぎ澄まされているべきです。

 

今の僕は土がいっぱい被さった状態ですから、輝いていません。もし待っていただけるならもう少し年数をください。どうやったら土を剥がせるか試してみます。また会える日があれば生身の姿でお会いしたいです。バーチャルはもうたくさんです。舞台を見にいらしてください。映像で見つけてください。

 

輝ける日が来るとは限りません。このまま終わってしまう人生かもしれません。終わらせるのは自分です。自分の判断でどうにでもなるのです。輝きたい、そう思います。だから一旦ブログ休眠させます。ご理解ください。

 

人の心配はしない。自分の心配だけする。自分を変えるだけだ。

 

また会いましょう。また会いたいです。現実世界でお会いできることを願って。

 

勝手わがままなブログを今日までご覧いただき本当にありがとうございました。

 

 

2020年8月4日 本廣真吾

もとひろです。

 

スティーブ・ジョブズの禅の師匠だった乙川弘文(おとがわこうぶん)さんのことが書かれた本を読み始めた。内容に入る前に感動したのが本の格式の高さ。宗教者の本だからそういう作りになっているのか、はたまた作家の柳田さんの書く文章の持つ力なのか。ネットニュースの誤字脱字の多い文章に慣れてしまった昨今にこんな崇高な書き出し方の本に出会えて嬉しい。やっぱり日本語は美しいのだ。中年に入り自分の精神のもろさに気づかされる。ジョブズが心酔した「禅」ってなんなんだろう。宗教ってんなんなんだろう。そんな興味から読み進めてみる。まだ読んでないのに読み終えたあと幸せになる気がしてならない。今日は本の紹介でした。

こんばんは。もとひろです。

今日は非常にわかりづらい文章を書いてしまいそうな気がします。ただどうにかお伝えできたらと思いますのでお付き合いください。

 

いくら真剣にひとつの人生を生き抜いたとしても、納得して理解できる世の中の不思議はごく一部なんだと思います。その中で多数の方々に共感を得てもらうために作品づくりを行って認めてもらうのは至難の技のような気がします。でもどこかで「わかりあえるんじゃないか」と信じることができているから、私たち人類は2020年の今でも作品作りに情熱を傾けることができるのだと思います。そこのところが本当に尊いのです。神様は人間同士分かり合えないようにプログラミングしている可能性が大いにあるのに人間はそれを受け入れず何か違う方法があるんじゃないかと純粋に美しく生きようとしている。人が絶望したとき恨むのは神様なのでしょう。神様を信じて生きていき、神様に絶望して死んでいく。なんとも歯痒いものです。

 

こういう思考に陥った原因として、妻とアニメ映画を一緒に見て意見がぶつかったから。僕は「人間関係が描けてないように感じて中盤まで全く集中できなかった」と思い、妻は「それはわかるけど、そういうこともあるのかなと思って私は最後まで見れた」というもの。人の関係が追えなくなったところでその作品はよくできてない作品だと思います。見る側の(つまり私の)知識不足、能力不足があることは否めません。しかし一俳優として感性は人一倍持ち得ていると信じています。分かり合えると思って一緒になった妻とでさえもこんなことで意見が食い違う。互いの意見を受け入れればいいのになぜか喧嘩っぽくなってしまう。飽きっぽい人ならここでひとつ人生に絶望してもおかしくないですね(笑)いや笑えない。

 

いい作品つくりたいですよ。いい作品に触れたいです。でもそんなぽんぽん出会えないことはわかっています。信じてやれるまでやり続けるしかないんです。だって信じてますから。婚姻関係も信じれるまでは信じれるんです。信じられなったらもう信じられないんです当たり前のことを当たり前に言っています。せめて生きてる間は神様を信じて生きていきたい。それができていれば自ら命を断つことはできないはずなんです。信じられる対象を持ちましょう。人じゃなくてもいいんだと思います。でもやっぱり、人が一番だと思うんですけどね。

 

 

もとひろです。

 

「腸の調子さえ改善すれば人生かわるよ」

見えない体の一部分をケアすることの大切さ。家では大食い早食いの私ですがもうこの年になるとそれが相当やばいことだという認識がはっきり芽生えてきました。別に長生きするだけの為じゃないんです。腸の働きを活発にしておかないと脳までやられてしまうことを知りました。精神的に落ち込むときは腸の機能も落ち込んでるみたい。腸が働かないといくら体にいいものを食べても吸収してくれない。

 

発酵食品を食べよう。ということでキムチとか納豆ヨーグルトは常に冷蔵庫に。そしてカルピスがかなり助けてくれます(そんな気がします)喉が乾いてちょっと甘い物が飲みたくなったらカルピスを薄めて飲む。お酒が飲みたくなったらカルピスで割る。糖分には気をつけなきゃいけませんがカルピス原液の常備おすすめです。お中元はカルピスでお願いします。

 

めったにお酒は飲まないのですが今日は長野産シードルにカルピスをちょっとたらして飲んでいます。そのまま飲めよと思われるでしょうがもうカルピス症候群なのでとめられません。糖質は依存症になりやすいので皆さんもお気をつけください。それではまた明日。

こんばんは。もとひろです。

 

もうずっとマスクの日々。表情筋の豊かさで生き抜いてきた人にとっては生きづらい世の中です。人としての魅力半減です。顔は目と口と鼻と全てが揃って一人前なのに鼻と口を隠されちゃコミュニケーションが取れない。きっと望まない誤解も増えているんじゃなかろうか。目だけで物を伝えなきゃいけませんのでオーバーアクションになりがち。きっとマスクを外せる世の中になった頃には人類は目で芝居をする種族になってしまうことでしょう。本来さらされているべき部分が隠れてしまっているのは大変な事態だということを肝に銘じなきゃいかん。一刻も早く鼻と口を取り戻したい。せめて夢の中ではマスクを取っていたい。では眠ります。