これは「試練」だ。過去に打ち勝てという「試練」だと、俺は受けとった。人の成長は未熟な過去に打ち勝つことだと。

  ――ディアボロ(ジョジョ第5部)――



「過去」とは未熟なものだ。
1000年前の文明と現代の文明とを比較しても、数年前の自分と今の自分を比較しても明らかだ。
「過去」には経験も知識も足りていない。
「未来」には、「過去」と違い、経験が豊富で、我々はその経験から学ぶことが出来る。
未熟な過去は疎まれなければならない。
未熟な過去が現在や未来を脅かすようなことがあってはならない。



この世で一番憎むべきもの、それは自分の過去だ。誰にも知られたくなかった。君にも。

          ――雷電(MGS2)――


俺は、俺の過去を誰とも共有したくはない。ただ忘れたいんだ。

          ――雷電(MGS2)――






しかし、確かに「過去」はこのように未熟ではあるのだが、「過去」にはものすごい力がある。



過去は未熟ではあるが不変でもある。
変えることも出来ないし、変わることもない。
現在や未来からの如何なる干渉をも受けつけない。
揺るぎない。

(割れたカップをくっつけることは出来るが、「カップが割れた」という事実は変わらない。)






ところで話は変わるが、正義とは普遍的な不変の真理である。
それは、全ての物事の善悪や適不適を判断する唯一無二の絶対的な基準となる。
(僕はそう信じてる。)


「普遍的な不変の真実」と言った。
さっきも言ったように、「過去」は不変である。


「過去は不変である。」
「正義とは不変の真理である。」

この二つの命題が無関係とは思えない。


その意味で、"不変"という性質に注目するなら、過去は正義を探求するときに大きな手がかりとなるんじゃあないかと思う。








プ.ス.

ただね、僕たちが言う「過去」って、「記憶」でしかないからね。
「記憶」って不確かなもんだよ。

しかもさらに極論を言えば、「過去」なんて初めから無くて、自分の記憶は5秒前に作られたものなのかもしれない。




今日か昨日か一昨日かでこのブログは2周年を迎えました。



2年もブログやってて文章力がアップしたかって言うと、そうでもない。


未だに、読点をどこに入れるべきかに迷う。




そういえば、最後に"キレた"のはいつのことだったか。


思うに、"キレる"という行為は、自分の考えを絶対正義としそれを他人に押し付ける行為だ。
他人の正しさを認めない。
キレたやつには何を言っても無駄。



最近僕がキレなくなったのは、大人になってちゃんとした判断ができるようになったという理由もあるだろうが、それよりなにより、自分の中の正義が「絶対」ではなくなったからだと思う。




納得できないことがあっても今の僕ならキレることはしない。
ただ憤り、悔しがり、そして自分の正義を疑う。「正義ってなんだ」と悩み込む。


「誰が正しいのか」
「何が正しいのか」
「誰か正しいのか」
「何か正しいのか」

何を基準に物事を判断すればいいのかが分からなくなる。




キレなくなった代償として、自分の正義を見失ってしまったのかも知れない。








プ.ス.

あんまり俺をキレさせん方がいいよ。
俺キレたらマジやべぇから。
手ぇ出るし(笑)
俺のガキの頃のあだ名知ってる?
「救急車」だよ。
ケンカ相手全員病院送りにしてたから(笑)

(´_ゝ`)フッ




他人から一年遅れを取ることのデメリットはどれくらい大きいのかな。



一年……。



僕は、「世界がもし100人の村だったら」とか「人の一生を24時間に置き換えたら」みたいに“実際の数字を他のものに見立てる”のは大嫌いなんけど、今日はあえて言いたい。


一年っていうのは、(光の速度を基準にして)距離に換算すると一光年(≒9兆4600億km)だ。



想像して欲しい。
今まで、小・中・高と、すぐ隣で一緒に勉強したり楽しい時間を共有してきたはずの仲間達が、遥か9兆4600億km先にいるのを。




一年を一光年に見立てるってのは自分でも馬鹿馬鹿しい考え方だと思うけど、それでもそう思わずにはいられない。

I can't help but so omou.





この距離、なかなか縮まりそうにない。




「ねぇ、ピザって10回言って。」

「ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ」

「では、ひざの後ろ側を何と言う?」

「…」


















プ.ス.

ひざの後ろ側は「膕(ひかがみ)」っていうんだそうだ。

Domine, quo vadis? Per aspera ad astra.-ics.jpg




ドレミの歌の英語の歌詞は
和訳すると大体こんなことを言ってる。





ドウ(doe)は鹿(メス)

レイ(ray)は太陽の雫

ミー(me)は自分のこと

ファー(far)は長い道のり

ソウ(sew)は縫い針と糸

ラ(la)は「ソウ(sew)」の次の音

ティー(tea)はジャムやパンと一緒に








「ラ」の扱いがかなり雑でかわいそう。



僕なら

ラー(Ra)はエジプト神話における太陽の神

っていう歌詞にするかな。




ショウジョウ「オマエ達破滅ツレテ来タ。高校生デモ大学生デモナイモノツレテキタ。」

サン「高校生でも大学生でもないもの…?」

ショウジョウ「来タァ!」「コノ世ノ終ワリダァー」




浪人とはおかしなもので、高校生でもなければ、かと言って大学生でもない。
高校は卒業したが、大学へは入学してない。

6334制にない期間だ。

数直線上のどこにもないが、それ自体は確かに存在する、いわば虚数のようなもので、
実数である大学生とは異質な存在。


大学生や高校生諸君とは別の世界にいると言えばいいのか、
その境界には、極めて薄く、透明で、にもかかわらず決してすり抜けることの出来ない壁があるような感覚がする。



ガガーリンは、地球を出て、宇宙から地球を見て、そして地球へ帰ったわけだが、浪人も恐らくはそんな感じ。

外へ弾かれて、外から自分がいるはずのところを眺める。

そして「やっぱり地球が一番やなぁ」と、こう思う。




i want to get back to where I once belonged.





プ.ス.

"いわば"を使う場所がおかしい




Maybe,誰にでも自分だけの主義や主張があると思うが、僕にも自分なりの主義があるわけよ。
つまり「××××××すべき」ってこと。
(詳しくは言いたくないので伏せ字。)

まぁなんと言うか、自分の中での正義というか倫理というか、自分ルールみたいなもんだ。


しかしだよ、ワトソン君。
たいていの場合は、そういった自分の中での正義は社会的な正義(法律とか常識)とは異なる。

それが問題。
That is が問題。


僕は自分の中での正義を考えるとき、同時にこういうことを思う。
「どうして世の中は××××××しないのか、みんな××××××すべきだ。Why not?」


いや、別に他人に自分の正義を押し付けるわけではない。

でもやっぱり自分の中では「××××××すべき」ってのは完全無欠の正義なわけで、にもかかわらず皆はそう思ってないってことが不思議で不思議でたまらない。


自分の考える正義と社会的な正義が食い違ってるってのはかなりやばい状況だと思わないかい?

このギャップを感じながら生きていくのはつらすぎる。
このギャップは埋まることがない。


自分の正義と社会的な正義が相容れないものである以上、自分の正義に固執し続けてたらまともな人生は送れない。

いずれ、自分の正義を裏切りらなければならないときがくる。

この世界で幸せになるには自分の正義を捨てなければならない。



あぁ哀しや。




ダイエット番組やダイエット用具の通販番組を見て思ったことを書きます。





日本人が一日に必要とするカロリーは

女性で2000キロカロリー
男性で2400キロカロリー

だいたいこんなもんだったと思う。



そして運動によって消費されるカロリーは

約2時間のゆっくり歩き(散歩)で300キロカロリー

だそうだ。



一日の摂取カロリーを全て消費するには単純計算で一日に16時間散歩をしなきゃいけないことになる。



でも実際、僕は一日に16時間も散歩しているわけじゃあない。


せいぜい、通学のために自転車に往復で20分乗り、あとは半径約30メートル圏内での行動で事済む。




これと同じような生活をしている人も少なくないと思う。





2時間歩いて300キロカロリーしか消費されないなら、

一日に2400キロカロリー食うと、
(僕は栄養学とか生物学については何も知らないけど、)

歩いたり、立ったり、ラジバンダリ、座ったり、ドアを開けたり、指を動かしたりしても、半分以上「余る」んじゃあないだろうか。






この残り半分のカロリーはどこへ消えるとかと言うと、生きることitselfに使われているんだと僕は考える。




人は、運動していなくても、ただじっとしていても、生きているだけで膨大なenergyを消費する。




そう思うと、生きるていることの重要性とか、生きることの大変さを改めて思い知る。




ダイエット番組を観ながらこういうことを考える。


実際はどうなのか知らんが。







プ.ス.

食品のパッケージの裏に書いてある栄養表示。
ちゃんと
蛋白質×4+炭水化物×4+脂質×9=エネルギー
になってることに感動した。




①「うんこ味のカレー」

②「カレー味のうんこ」


①と②、食べるならどっち?







太古の昔から受け継がれてきたこの質問。

小学生がするようなくだらない質問だが、誰でも一度はこういう質問をされた(した)ことがあるだろう。




しかし、この質問の出題者はあるミスを犯している。


考えてみて欲しい。


質問内容から

問題の前提として、
①「うんこ味のカレー」

②「カレー味のうんこ」
が同時に存在することがわかる。


そしてこれをもとにしてベン図を書くと

┏━━━━━カレー━━━┓
┃┌うんこ味┐┌普通の┐┃
┃│のカレー││カレー│┃
┃└────┘└───┘┃
┗━━━━━━━━━━━┛

┏━━━━━うんこ━━━┓
┃┌カレー味┐┌普通の┐┃
┃│のうんこ││うんこ│┃
┃└────┘└───┘┃
┗━━━━━━━━━━━┛


と、このようになる。



ここで、回答者が①「うんこ味のカレー」を選択したとする。


選択肢には「うんこ味のカレー」としか書かれていないので、ここでいう「うんこ」の部分が、「普通のうんこ」と「カレー味のうんこ」のどちらを指しているのかが明らかにされていない。

ということで
①「うんこ味のカレー」には

「普通のうんこ味のカレー」

「カレー味のうんこ味のカレー(=カレー味のカレー)」

の2通りが考えられる。


しかし、この「カレー味のうんこ味のカレー」の「カレー味」も、「普通のカレー」と「うんこ味のカレー」のどちらを指しているのかわからない。







…と、このような入れ子が無限に続くので、いつまでたっても何も食べられないのだ。



②を選んだ場合も、うんことカレーを置換すれば同様のことが言える。



よってこの問題不成立。














プ.ス.

うんこは苦いらしい

パンダのうんこは笹の味がするらしい