2024.01.30 「ありがとうございます」
こんにちわ!いつもありがとうございます。
国会が始まり、注目を集めていますが皆さまは期待していますか。
今期待して、どれだけ善くなるのか楽しみですね。
世界各国でも、国民・庶民が立ち上がっているようです。
国民・庶民生活を理解し、慈しみ・愛をもって対応する、
国家・政府で有って欲しいと思う今日この頃です。
「ありがとうございます」
第五章
19 業想念の心を自分の心として掴む時
業想念の心を自分の心として掴むから、
七難八苦に陥っているのです。
本心の心を自分の心として掴めば、
既に無限の無限の幸せ一杯に生かされているのです。
何処にも苦しみや悩みは無いのです。
幸せと喜びと安らぎが、湧き上がって来るのみなのです。
明るく・謙虚に・素直に、すべてを神さまの現われと褒め称え、
感謝し、喜んでいれば、本心の自分を生きることができるのです。
本心の自分を生きていれば、
決して業想念の奴隷に陥ることも無いのです。
光を灯せば、瞬時に、闇は消えるのです。
本心の心を生きれば業想念の心は消えるのです。
感謝の心を生きれば、不平不満不愚痴は消えるのです。
喜びの心を生きれば、悲しみは消えるのです。
讃嘆の心を生きれば、責め裁く必要は無くなるのです。
生かされている自分であれば、生きる為の苦悩は無いのです。
新たなる自分を生きれば、過去に縛られることは無いのです。
与え尽くす心をしっかりと生きていたら、
求める心に陥って苦しむことは無いのです。
感謝一筋に生きていれば、
考え悩むことは無くなるのです。
本心の自分は、一切を神さまから、
新たに受け直すことによって、光り輝くのです。
常に神さまだけを相手に生きているのです。
神さまを忘れ・無視する時は、
本心の自分は新生できないのです。
心の奥に閉じ込められたままです。
本心の自分を生きる為には、
一瞬たりとも感謝を忘れてはならないのです。
神さまから新たに受け直したもののみが、
光り輝いているのです。
神さま以外から受けたものは、すべて過去の産物であり、
業想念御付着したものばかりです。
神さまから直接に、新たに受け直すことを忘れる時、
付着した大きな業想念を背負うことになるのです。
特に不労所得には、大きな業想念が付着してくるものです。
その覚悟だけはしておく必要があるのです。
神さまへの感謝報恩の心で、させていただく奉仕であれば、
一切の報いを求める必要は無いのです。
無報酬で喜んで働けばよいのです。
もし自分の労働の対価として、報酬を受けるのであれば、
自分の与えたものと同じ価値のものを、その報酬で返してもらえるという約束を、
人と人との間でしたことになるのです。
お金には絶対価値は無いのです。
労働の対価の貸し借りの約束のようなものです。
自分の与えた価値だけのものが、自分に与え返されてくるのです。
もし自分の与えた以上のものを受ければ、その分は借りているのです。
自分の与えたものの方が多ければ、その分は貸しているのです。
因縁因果の法則に拠って、どんな貸し借りも厳然として清算されるのです。
ただ貸し越しの多い者には、
業想念の縛り(早く返せという無理難題の要求)がきつくなるのです。
その点では、貸し越しの多い者の方が、
業想念の縛りが少なくなるので、少しは楽な心の状態になるのです。
ありがとうございます