自分の性格を知ることは難しい。
ビデオを見て、写真を見て、言っている事を録音して、歌を聞いて、身体を洗って、自分で見て、自分でやって、自分でまいて、自分で育てたつもりの事が、気が付けば自分を持っていないことに気が付き、人のためを思うと、わかってやりたく思い迷う。
音楽をすることは、自分の苦しみを助長していることでもある。
安らげない自分のポジション。
出鼻は挫かれ、自分にはそれが欲しいことだったのに、人は時が経てば悪者に変えていく。
一生懸命やってることを、人のためを思い、自分の事として受け止め言っていく、伝えていくことに、自分には何もない。
自分が思うことの小ささを指摘されると緊張感が走る。
やがて別のものにそらそうとする。
セックスであったり、ドンチャン騒ぎだったり、バカな事をして現実のなかで安らぎを得ることに喜びを感じている。
大衆の前で大きな音を鳴らし、叫び、泣き、怒り、哀しみ、楽しむ事を皆が普段思っている小さな小さな事だけど、大きな大きな問題や、ハードル。
それを低くはできないけど、心の持ちようでそれを軽くして、ハードルにぶつかっても怪我が軽くなるように祈って、聞くものへ安らげるものを作りたい。
そんな小さな事に目を向けることが、どれだけ大きなパワーを持つか。
エネルギーは消費する一方で、自分のしている一見華やかなミュージシャンという立場は、白い目で見られる事が多い。
「好きなことやってるだけ」
そういう風にとられて多いに結構だけど、苦しいことは山ほどある。
家族には、学校、生活、ライフワークどれも理解を得れなかったが、一度大成したら一転。
それも束の間、その次は憎しみ、卑下することに変わっていく。
その大成の時に「愛されている」という思いを持った後、自分にはどうすることも出来なくなった時に「好かれていない」と知ったとき、もう一度その大成する前に戻る。
「クソッタレ」と、もう思いたくないのに、自分は更にその振り幅を拡げて、強烈な感情の波のなか生きていかねばならないのか。
熱いメッセージが正しいとは思わない。
ありふれた優しいメッセージになればそれはちょっと伝わらない。
優しいことのスタイルを、自分の性格を明確にしていき、自分はこういう事をしている事が「オレなりの優しさなんだよ」と、音楽を聞く人たちに知ってもらわないと、オレは優しさを伝えられないのかと思う。
皆がわかるものは、それなりにわかる。
ある人にしかわからない歌を、大きなパワーとフィールドで歌いたい。
ベイベ!!!!!
ロックンロールの様に、軽快に、パッショナブルに、エレキぶっ飛ばせ!!!!!