4日から7日までブダペストに子どもの観察のテーマのシンポジウムに参加してきた。

朝から晩まで、もう最後は頭がいっぱい。

現場で働く先生から、大学教授や、フィジオセラピスト、心理学者などなど、いろんな角度や分野から子供の観察に関連したことの講義をきけるなんて、本当に良い機会だった。

 

シュタイナーコースの私の先生も参加していて、イギリスからも知ってるだけで10人ぐらい?。

イギリスはまだまだ始まったばかりで、フランス、スペイン、スイス、ドイツは、かなり進んでいる感じを受けた。

専門のセンターもあり、ピックラーアプローチは、かなり広まっているようだ。

そして、アメリカ、特に南アメリカの人々の障害を持って生まれた子供へのピックラーアプローチのセンターや子どもの家、やっていることが素晴らしすぎて、ああ、とため息が漏れた。

 

そして、なんと日本からも女性が2人!嬉しい。

東京の方なので、東京で広まれば地方に広がる可能性は大きい。

ただ、日本では見てわかる教育アプローチが流行る。

ピックラーアプローチは、知らない人が見ると、?という反応になる可能性あり。

子どもは好きに動き回り、大人は観察、ケアー。

子どものけんかも、泣いてても、すぐに止めに入ったりしない。

私はいまだに邪魔をしてしまう。涙

子どもの発達の動き、遊びは絶対邪魔しない。

赤ちゃんも、自分から座るようになるまで、自然に任せて、抱っこして食べさせたりミルクを飲ませる。

歩くのに手を出したりもしない。

確かに無理やり自分でできない姿勢や行動をとらせると、早くできるようになる。

けれど、自分のペースで、自分で習得していく体の動きは、やっぱり違う。

自分でやれる喜び、自分で到達していく感覚を知っているので、

親にしがみついて、遊んでくれともいわないし、誰かがやってくれるのをまったりもしない。

イギリスでよく見かけるのは、こどもと遊んでやらないといけなくて苦痛というお母さんの本音をよく聞く。

これはよくわかる。良かれと思って、親がなんでもやってあげて、先を見越してすべて準備してしまうから、

子どもは遊び方がわからなくってお母さんにいしがみついたりする。

私は、自分がかまってもらった記憶がなかったので、自分のこどもは手厚くなんて間違った信念をかなり最近まで持ち続け、

ヘリコプターマムからなかなか抜け出せない。

息子にも、最近指摘されるので、おおと思いながらその場で気付けるようにはなってきた。

 

今回の一番の学びは、

 

子どもの泣き声が耐えられなかった保育士さんの話。

先輩にアドバイスを求めると、

 

自分の立場や感情ばかりに目を向けるのではなくって、

目の前のこはどうして泣いているんだろう。

何に対して何を感じてるんだろうと子どもの立場になって感じてみるよう言われたらしい。

 

そうしたら、その女性は、2度と、こどもが泣いていても、心乱されることなく、

子どもに寄り添った対応ができるようになった。

 

これは私もおなじ、自分の感情にフォーカスしすぎて、つらくなる。

なので、こどもは何が起きてるのか?なぜ泣いてるのか、一歩下がって、目の前のこどもを分かってあげられるといいなあと。

 

そして、保育士等、こどもと関わる人が、どれだけ自分の子ども時代の傷をいやしてきているか、

もちろん、素晴らしい親に育てられた人は、やっぱりそうやって子どもと接するが、そうじゃない大人は、心の奥底に、無視しづつけてきた感情がたまってたりする。インナーチャイルドもそうだけど、こういうシンポジウムで、大人のイモ―ショナルステートが子どもに影響するため、こどもと働く人は、やっぱり自分を癒してから、または癒しながら働くのがいいと感じた。Pureな大人はなかなかいないかもしれないけれど、それを目指せる人がやっぱりなるのが理想。これはシュタイナートレーニングでも何度も見たり聞いたりして、実際現場で働いてもそう思う。

 

ハンガリー観光は全くできなかったけれど、中国、台湾、マレーシア、ドイツ、フランス、日本の人たちとつながりができた。

世界中に、こどもを一人の人間としてリスペクトしながらかかわる人がこんなにたくさんいるのか!とうれしくなった。

来ている人以外にももっといるから、子どもたちの未来は明るいと勝手に興奮していた。

 

一緒に行かない?と誘ってくれたサリタさん、ありがとう。。彼女のおかげで行けたのだった。

でも、ちょっと、夫に似ていて、いつも行動を一緒にいるのが苦しくって、ちょっと避けてしまった。。

でも振り回されず、今回は、自分の意思を伝えられることができた自分をほめたい。笑