元々の私は、
easy going というか、
ゆるゆる
ひょうひょうとした
人間だったと思う。


それが
◯◯すべき!
こうあるべき!
という
べき思想が強くなっているように思う。



自分が毒親かも?
と気付いてから
自分の考え方のクセや
過去の出来事など、
色々な事を思い出し
考えていた。




そして
思い返すと、
私のべき思想は
「母親」
になってから強くなったように思う。

しかも赤ちゃん時代からではなく、
もう少し大きくなってから。


私自身も
周りの人間も、
娘を
赤ちゃんではなく
幼児や子どもと認識し始めた
タイミングだろうか。



赤ちゃんだから、
存在してるだけでいい。

から

こうしてくれたら嬉しいな、
という
「期待」
のようなものが求められ始める時期だ。




私が
娘に求める
「期待」
のような物もあった。

名前を呼んだら返事して欲しい。
しっかり色々な物を食べて欲しい。
色々な物に興味を持って遊んで欲しい。




それに加えて、
周囲の人間が
母としての「私」に求める
「期待」
のような物もあった。

今思えば、
周囲の人間に求められている
と私が思い込んでいた、
が正しい。



公共の場では騒がない、走らない。
周りに迷惑をかけない。
お店の商品をベタベタ触らない。
栄養のあるご飯をモリモリ食べる。
お菓子は食べすぎない。
病気にならないように元気に過ごす。
ニコニコ元気に挨拶する。


などなど。

私自身が、
娘にこうして欲しい、
こうなって欲しい
という気持ちもあった。

それと同時に、
周囲は、
母親である私に、
娘がこうなるように求めている。
と思いこんでいた。


なので、
娘がこうすることで、
周囲から
「きちんと母親をしている」
と思われたい気持ちでもあった。




ここでも私は、
娘のためにこうする、
という思いよりも強く、
自分がきちんと母親をやっている、
と周囲から認められたかったのだろう。



それゆえ
必要以上に厳しくしてしまったかもしれない。

それは、
娘にとっては楽しくないし、
もっと楽しく過ごしたかっただろうし。
愛されていない、
と感じていたのかもしれない。

と、今になって思う。