自分を大切に | おかえり〜母なる海へ〜

おかえり〜母なる海へ〜

ゆったり心と繋がり感じるまま自由に表現することは自然と心を緩め自分の中心へと軸を戻してくれます。頭で考えていることと、心に在ることを重ね合わせ、ありのままのわたしへおかえり〜指で色に触れる色あそびを通して、その瞬間を一緒に喜び笑い合えたら最高に幸せです

プロフィールのなかでも書きましたが
30代後半から数年間
肩、肘、手首、足首、膝とずっと怪我が続いて
ほんとに苦しい時期がありました。

書いてみて、思いましたが(今ごろ
ボロボロでした。


不注意と言われれば、それまでですが
それまでと変わらないことをしていたのに
なんで、こんなに怪我が続くんだろう

しかも、腑に落ちない
なりようもない状況の怪我ばかり。
(タッパを開けようとしたとき肘がバキッと音がして痛めた…とか)

でも、これだけ怪我をしているのに
バレーボールは続けたい
と、むちゃくちゃなことを言っていたので

「ええ加減、学習しなさい!」
ある日、突然、膝にロックがかかり、足が曲がらなくなりました。


そのときは、その怪我の意味がわかりませんでした。

で、治療してくださっていた方の言葉で
痛みの連鎖がココロの叫びであることに気づいたんですね。やっと。。。


子供の頃から母に言われていた
「周りの人を大切にしなさい」という教えを
自分の中で「周りの人を優先しなさい」に
いつのまにか変換してしまう癖

相手を優先させるのはよいけれど
自分の気持ちを、なかったことに葬り去るのは
カラダが震えるほどの大きな大きな痛みを生み

怪我の連鎖を広げてしまったことに
きづきました。


「自分のカラダに自分の気持ちを聴いてみて」と言われたとき


「もうムリ」間髪入れず返ってきたカラダの声

そこまで頑張らせていた自分のカラダに
「ほんと、ごめん」と思いました。


そこまで感じて、やっとのことで
「自分を大切に生きる」と神様に約束する
という、気づきにたどり着きました。


40歳過ぎてからなのでね。
ほんま、気づくの遅すぎですが

仮面心理学的にみても、わたしの脳は
『ココロの痛み(感情)に気づくのが遅い』

それもわたし。

ま、そんなこんなで神様に約束したあと

神様からのギフトとして、色んな意味で
自分を大切に生きることを忘れないよう実感し続ける出逢いを授けてもらいました。

それが、今のわたしのライフワークであり
尊敬する師、大切な仲間です。


あれから随分と時間が過ぎ


もしかしたら、わたし自身
その約束への気持ちが薄れかけているのかもしれない

そう思わせるような
あのときの身体の痛みの感覚を思い出す出来事がチョイチョイありました。

てことは、「思い出せよ」という合図なのかもしれません。



「こだわらない」のと「自分の気持ちをムシする」のは違う

あのとき、約束した
《自分を大切に生きること》は

自分の気持ち、カラダ
自分の時間、
そして、そのわたしが生み出した
自分の作品もことばも。

わたしのすべてを
何よりわたしが大切にする

忘れたらあかん、わたし。

備忘録として
ここに記しておきます。