少しこの方の意見と私は違う。 自分が障害を負ってまで生きていたくないというのは一緒。(痛いのも、苦しいのも、辛いのも嫌だ。)ただ、それが障害者を否定しているわけではない。 個人個人の感じ方や優先順位の違いの差があるだけだ。私は障害児施設で働いた経験があるが、やはり愛らしい所があるし癒される事も何度もあった。 障害者とか健常者とか仕切る事でお互いを知らないだけで以外と同じだと気付く事も多々あった。 また、生きている事に意味や価値はない。健常者でも障害者でも関係なしに誰しもない。 結局のところ解釈の違いによるだけだ。だからこそ、もがきながらでも価値や意味を見出すために(自分なりに納得の出来る解釈を出来るように)生きている。 意味が無いと認めたくないからこそ頑張ったりする。 私達は生まれた瞬間に死に向かって生きている。だからこそ、意味や価値を見出そうともがくなのかもしれないが無いものをいくら探しても無いのだ。 あとは自身が納得のいくように精進し解釈を付けるしかない。♯共に生きる♯障害者殺傷事件2年♯社会に芽生える変化

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