何気なく、気付いたら自分のものになっている。

ピアノの指導において、また子育てにおいて、
私はいつもそんなことを目指しています。



ピアノを習いに来てくれて、最初からの手ほどきをする場合、

私のレッスンでは、比較的進むのを遅くします。

子供達が何かを習う時、大抵の場合、
"できるようになるまでの過程"
の繰り返しが多いと思うのですが、

自分の音を聞いて、耳を澄まして
もう一歩、心がけることに目を向けて、
味わって、
もっというなら、
ちゃんと好きになって、満足してから次に進むこと、
音楽に大切に向き合ういい意味の"くせ"をちゃんとつけながら、
次に進むようにしています。

だから子供達は、いちいちこの曲を好きか嫌いかを意識しながら進んでいく、
これはもうちょっと弾きたい、これは早く終わって次の曲に進みたいなど、
色々な気持ちを持った上で
成長していきます。

そうすることで新しい曲への関心が深まって、
次の曲でも、音楽をさらに深く表現したいという意欲につながっていくと思うんです。

この曲の面白い部分はどこ?
ここの響きが好き、ここが面白い、
カッコいい、綺麗、素敵とか、
いろんなことを感じながら、
それを表現するために必要なテクニックを身に付けたいと、
できないことをできるようにする努力が、
根気を持って自主的にできるようになることが、狙いです。

レッスンの中で、伝える色んな気付きと、子供達がおうちでの練習の中で自分の力で気付いてくることで、
自主性とか意欲とかが膨らんでくるものだと思います。

そうなれば指導する上では、ほとんど仕事が終わり、同じ音楽好き同士として分かち合える仲間になるように思います。
子供達の意欲の先にある、
私が経験して知っている、
もう少し高いレベルでの音楽の面白さやできるようになるコツをちょっと伝えるだけで、
勝手に頑張って、勝手に弾けるようになって、勝手に味わって満足できるようになっていく、
この曲いいと思わへん?
ここを綺麗に弾けるようになりたいねん。
ここの響きが好きやねん。など
そうやねぇと共感し合えるようになったり、私も新しい気づきをもらったりして、
教え子と感じ方をお互いにシェアできるような関係になれたと思えたとき、
育ててきてよかった、と、神様からご褒美がもらえたような気持ちになります。

そこまでくれば、もしレッスンに来れなくなったとしても、ピアノが一生の友達になると、
自立の礎になったなぁと思えます。


昔、私の結婚式のとき、
サックスを吹いてくれると友人が言うので、新婦である私が伴奏をしました。
私の20年以上お世話になっていたピアノの先生もそこへきてくれていました。

私は結婚式の準備とかが忙しく練習は足りていませんでしたし、また技術的には簡単な曲だったので、演奏をすると言う意味ではちょっと手を抜いていました。

先生は私の演奏を聴いて
のちに、
あの時は、まだまだやなぁとがっかりした
と言われました。

今でも、私はその時の演奏はビデオで見ても、穴があったら入りたいと思うくらいひどくて、
その時はもう、ヤマハの講師をしていたのに、
あんなに気持ちの入っていない演奏を平気でしてしまっていたこと、それを聴いて、こんなにもまだわかってないのかと先生がどんなにがっかりしたのか、
それを思うと心苦しくて切なくなりました。

でも、その時、先生ががっかりしたと言ってくれたことで
目が覚めました。

実はその時、先生にも歌を歌ってもらって、私が伴奏をしました。それは、先生に歌ってもらうので、練習もちゃんとして、先生とも何回も合わせて、ここはこうやって、こんな音でと、意識をして弾いた演奏でした。

先生とやるからちゃんとやる、友達とだから適当でいい、
簡単な曲だからこのくらいでいいと思った、
私のおごりを思い知らされました。

音楽としての価値はどちらも同じはずなのに、
音に向き合うという意味では、誰の前で弾くとか、難しいから丁寧に弾くとか、そんなのは関係ないはずなのにです。

その時の私は、その程度で、
先生がずっと伝え続けてくれてたことだったのに、
講師をして教える立場になっているにも関わらず、まだ本質的な一番大事なことが分かってなかったという、苦い思い出があることで、

それから、ずっと、こどもたちに
伝えたいことがぶれずにこだわって指導ができていると思います。



音楽をリスペクトして真摯に向き合うこと、
大げさなようでもそれが当たり前になると、そのスタンスは他でも生きてきて、

人と関わる時の真摯さにもつながるように思います。

音楽を深く知ろうとするスタンスは、
人のことを表面的に見るのではなく深く知ろうとすることにつながり、
もっと丁寧に音楽を表現しようと思うことは、丁寧に人と関わろうとすることにつながるように思います。

自分にとって大切だと思えるもの、例えば音楽を好きと思える気持ちがあって、それと同じくらいの気持ちで大切な人との関わりに恵まれることは、
とても幸せではないかと思います。



上っ面とか、軽くとか、一過性の楽しみというようなものだけではなく、

今時、流行らないかもしれませんが、
心の奥底までが揺れるくらい心が満たされるような、そんな機会を小さい時からピアノに触れる中でたくさん作って行くことで、
知らない間になんとなく
物事を深く感じようとする姿勢が当たり前になってたらいいなぁと思って
こどもたちと日々のレッスン楽しんでいきたいと思います。



娘が高校2年で、
昨日は保護者会がありました。

文化祭が終わり期末テスト一週間前で部活も休みに入り、

夏休みに向けて、

学習について、進路について、そして秋の修学旅行についての説明でした。

私の母校でもある娘の学校は、公立高校で、のびのび自由、その分、ゆるいなぁと感じたりするものの、娘にはぴったりだなぁと感じながら、大きな不満もなく通わせています。

娘も、基本的にはやりたいことしかやらないわがまま娘でもありながら、そこそこ居心地がよく、仲の良い友達と忙しく遊びまわっていて、
お世辞にも学習面、進路などは、まだまだ重要だと思っている様子は今のところありません。

母である私はというと、
高校生にもなってきたら、自分で考えるものでしょ?というのが根っこにあるので、相談には乗りますが、娘の進路に対して、こうでなければとか、ああしてほしいとかはまるっきりなく、ただ一つ、自分の人生を他人事のように、無責任になることだけは許さないというスタンスで見ています。

なので、先生たちのお話を聞いていて、違和感がありました。
保護者会だから、当たり前なのかもしれませんが、
特に若い先生のお話は、親御さんに気を使っていることがすごく伝わってきて、
その上、保護者からの質問において、学校はどのくらいのことをしてくれますか?的な、むしろやってくれていない学校を責めるような意見が出て、
高校生ってそんなに親がなんとかしてやったり先生がなんとかしてくれたりしなきゃダメなもんなの?と思いました。

小学校のときくらいは分からなくもないけれど、中学も多少わかるけど、
高校卒業したら、早い子なら就職したりするのだから、手をかけてもらえることを求めていたのでは、社会人としては使い物にならないと感じるし、また

子供にとっても、親に反発したり、親を疎ましく思ったりする、いいタイミングに、親離れしたいと、そのモチベーションで自分で考える癖がつくもんだと思うんですが、
中学の時と変わらないような先生方の手厚さと、それを求める親の様子に、
子供らの自立について、
先生たちが勇気を持って、話してくれたらなぁなんてちょっと思いました。

私が高校時代、初めての学年集会で、学年主任が
 稚心を去れ
と話されて、ソクラテスの弁明を読まされて、感想文を書かされました。
稚心とは、幼稚な心です。
中学生から少し背伸びをして高校生になったばかりの私は、そっかぁ、高校になったら幼稚な気持ちを持ってたらあかんねんなぁと思ったし、ソクラテスの弁明という本は、本当に難しく、よくわからなくて、高校というところに圧倒され、
先生たちのドライな、一見冷たい空気にも、知らず知らずに、大人の扱いをされてるような、しっかりしなきゃいけないなぁと思ったものでした。
今でも、そんな風に先生から、絶対的な強さで、大人になることの意味を教えてもらえたりできたらいいのにと思います。
親が、先生に構ってもらうことを求めるから対応せざるを得ないのかなぁなんて、そんな風にも思いました。

進路について、娘たちの年次から大学受験の制度が変わります。
AIが台頭してくる未来に向けて、人としての価値が問われる、何より主体性、人間力を計られるようになる、なので調査書も形式が変わり、学力以外の判定が一割は評価されるとのことで、
部活、文化活動、ボランティアなど、
目に見えない力をつけたかどうかを問われる受験に変わるとのこと。

今の時代、新卒の3人に一人は三年以内に就職してもやめてしまうという現実。
その会社と合わなかったというにはパーセンテージが高すぎると感じます。

新卒を扱う人事部の人と話した時に、
自分から学ぼうという姿勢の新入社員が少なく、教えてくれないことに不満を持つことに対応しなければいけないので、昔のように、見て覚えろというようなのは通用しない。
でも、自分の意思で頑張ろうと思っていたり、コミュニケーション能力が高い若者は、どこででも通用するという話を聞いたことがあります。

社会に出るまでの子供時代に、たくましさをどれくらい育んでやれるか、
学力は学校や塾などが教えてくれたとしても、
意欲を持ったり、不条理なことに立ち向かっていったり、できるようになりたいこと、知りたいことに、自分の意思で向かっていったりすること、
目上の人を敬って、謙虚に耳を傾ける素直さを持つことや、人とのやりとりの様々な経験を積むことなどは、

大人として共に暮らしている親が、いろんな場面で小さい頃から教えてやらなければいけないことではないかと感じます。

主体性とか自主性は、
持ちなさいと言われて、今日から持てるというようなそんな単純な力ではないからこそ、時間をかけて、
自らやる気を持った時の子供の変化に気づいて、そこを伸ばしてやれるように、
一番そばにいる親は、心がけていけたらと思います。

保護者会で聞いてきたことを娘に話しました。
ああしなさいこうしなさいとは言わないけれど、
自分の未来に対して、真剣に考えて、高校卒業するときに、自分の行きたい道を行けるように準備をしなさいとだけは伝えました。

ヤバイなぁ、考えなあかんなぁ、と、
ちょっと焦った風でしたが、でも、
とにかく今日楽しいことに全力投球の娘は、まだまだ、そんなことを考える必要性は実感できないようでした。

それも、またいいかと、

お母さんは言うたからな!と、とりあえず釘を刺して、

でも、私も高校時代、進路が定まったのは高3の11月だったわけで、
娘にだけちゃんとしろとは言えないから、
娘にも青春時代、一生分と思うくらいは笑ったり泣いたり、振り切って過ごしてほしいとも思っています。

精一杯、のびのびと過ごしてほしいと願っています。

娘は、遊びには、主体性の塊なので😆

むしろ、文化祭に暑苦しく燃え尽きて、

修学旅行にワクワクして、



その時の感情を思いっきり味わって大人になってほしいと思います。


今日は人って、評価を受けることで励みになるというのを目の当たりにしました。

娘の高校の文化祭の毎年の企画、学校中で合唱コンクールに力を入れていて、今日はその本選でした。

娘のクラスは、娘がピアノと合唱リーダーを担当し、

今日に向けて一生懸命取り組んでいました。

娘は小学生の頃、2年間合唱隊という市の音楽隊に所属して、かなり高いクオリティの合唱の指導を受けていたこともあって、
わかることも多く、目指すところも高く、
クラスの仲間との温度差に悩んだり、うまくまとめていけなかったりして、
落ち込んだり投げ出したくなったり、
すったもんだのここ半月ほどだったのですが、

今日本番では、
クラスとしては、三学年で2位を受賞しました。
私も聴きに行ってて、やる気のある子もない子もいる仲間をまとめて、ここまで歌えるように、引っ張ってきた娘を大したもんだと思い、またピアノも、やっぱり合唱の盛り上がりを影で支える大きな役目を担うのはピアノだなぁとつくづく思うくらい、
娘のピアノは安定して、音楽を歌っていたので、いい演奏でした。


すると、ピアノの最優秀伴奏者賞というのをもらったそうで、2年生の受賞は過去にないらしくて、周りからも相当ざわざわ声をかけられたらしく、

やっぱりいい気分だったようでした。

家に帰ってきてから、録画を見ながら、
ピアノのあかんかったところはどこ?と聞いてきたりして、最優秀を取ったとしても、自分としてはまだできたかも!と思ったようで、より良くするための課題を知りたいと思ったようでした。
そういう意識を持つように、
人と競って勝ったから満足ではなく、自分としてのベストを目指し、入賞とか、勝つとかよりも、自分としての満足することが大事と育ててきたという、
理想はそうなのだけれど、

やはり、
外側からの評価というのが、思った以上だったのは、単純に嬉しくて、励みになったようです。

我が子だけじゃなくて、教え子にも思います。

もちろん、自己満足として、自分の心が満たされることが一番、
頑張った実感とか、他者との勝ち負けではなく自己ベストを目指すことが大切なことだとは、思うけれど、

下世話かもしれないけれど、やっぱり単純に、人からの評価は励みになると感じます。

謙虚なことも大切、だけれど、自己肯定をする上で、周りの人からの評価というのは、全く無視できる仙人のような人は少ない、
褒められたら嬉しいものだし、

ピアノにおいて、子供達がちょっとした自信の手助けになる機会はとてもありがたいと思います。

娘は中一の頃、少し周りの友達との関係において、いじめのようなことがあった時期がありました。
でも、その時も合唱コンクールでピアノを弾いたことで、一目置かれ、尊敬され、立ち位置がまるっきり変わりました。人として周りが尊重してくれるようになりました。

今日も娘は、一生懸命やってたことは、身を助けるものなんやなぁなんて、ほんとに嬉しそうでしたが、
中3までそれほど大きな目標があるわけではない中、黙々と毎日ピアノの練習をして、できるようになってもそんなに大きな達成感のようなものを日々感じられるわけではなく、練習も楽しくないと感じる時もあったりしたけれど、

そのコツコツがどんな風に実るかわからないような努力も、
必ずどこかで実る時が来る、それを実感できる機会があるといいなぁと感じました。

たくさんの教え子も、いろんな場面で、ピアノをやっていたことが役に立った、身を助けたという場面を見てきましたが、
そのためだけにやるわけではないけれど、
それが励みになることは間違いないなぁと、そんな神様のプレゼントは、頑張ってきたからこそなんだなぁと、今日は痛感しました。