ハイリ― タフネス パーソン☆
あけましておめでとうございますお元気ですかふと久しぶりにブログを書きたいなあと思ったので記します(1年ぶりかなあ)自分の価値基準で自分を見るっていう内容ですHSPって概念は自分や誰かが超繊細です。って概念になると思いますがそれって非繊細さんの視点で見ている概念だなあと思って自分の視点自分の世界ではその繊細と言われている感覚が基準なわけだからこっちから言わせればハイリ―タフネスパーソン(超タフな人 HTP)勝手に作った。。。。笑がいるなあっていう感覚のほうが自然な物の見方だと私は考えます自分の価値基準で自分を見る習慣がつけば自分の表現している強さや優しさに気づくことができて軸が築かれていくと考えるので(自信がある人というのは、自分を正当化する思考法を持っているだけのような気がします)そのひとつの視点としてハイリ―タフネスパーソンっていう視点で「あのひとたち相変わらずタフだなあ」っていう風に周りを見ると自然に納得できて自分の事も周りの事も許せるんじゃないかなあ。自分基準の物の見方って少数派に属するとはじめは抑圧されて流されちゃいがちだけど(数の論理で自分を間違いだと感じて)でも生きづらさを感じる過程でいつか逆転して逆に一般的な人よりも独自の考えを表現するようになると私は自分の変化から感じています。幸いにもHSPさんって攻撃性がないから論理的に自分の考えを説明したり芸術で表現したり(評価や成果は関係ない)美しい方法でオリジナルの表現にたどり着くのではないかなあって思います。(評価や成果は関係なく、その表現をする自分自身に気持ちよさを感じる)たとえ目に見える成果はなくても自分の中に「自分自身で在る」っていう最大の力を蓄えることができてそれは自分の想像を超えた場所へといつの間にか導いてくれるものだと感じています。まずは自分が繊細であるという俯瞰の視点と同時に自分以外の人が「超タフ」であるっていう自分基準の視点をちゃんと持つ。その「自分が基準である」っていう視点で見ることが自由な世界への移行だと私は思います。私はこう考えます。私はこう感じます。「私は」っていう面を大切にしていますか?私にはこの私の感覚を信じるという自己信頼がありませんでした。。。それが一番きつくて苦しい状態だったと気づきました。なので人と一緒じゃないことを人と同じようになれないことをもっと丁寧に見てどこがどうきついの?無理なの?どう感じているの?丁寧に自分を見ていますか?それが道しるべだとしたら?内面が豊かだからその自分の内面と(汚れていても)それを表現するようになった自分にものすごく感動する感性があるんじゃないかなあ。非繊細さんの視点で自分を見ると機能的じゃないことを責めるしかなくてそれって苦しいよね。自分基準で自分をみて責めるなら自分基準で自分を責めて褒めるなら自分基準で自分を褒めて何でも自分基準にして心の中をうめつくすそれはタフな人の持ってる価値基準とは全く違うはず。オリジナルの価値基準、面白さが内面に詰まってる。まずはあの人たち超タフだからしょうがないよねあの人たちマジやばい。。。💦タフすぎ。。。(笑自分基準でまずはそう見てみるのはいかがでしょう